憲法改正論に目を背ける人に伝えたい超基本 変える必要はあるのか、それともないのか
三浦:しかし国会の役割はどうか。ほとんど何もしていないともいえます。中期防の議論さえ中身はまともに話題にならない。現状の構造のままだと、安全保障上有事が起きたときにどうなるか。知識が乏しく日常的に鍛えられていない政治家による有事のトップダウンは危険です。東日本大震災の対応でも言われましたね。最近の映画『シン・ゴジラ』でも似たような問題意識が表出しています。もう1つのリスクは、それまでの対策を怠ったうえで、いざというときに現場に重い決断を丸投げしてしまうことです。対策を怠っているわけですから、準備もないままに現場は多数の犠牲を強いられることになりがちです。
政府は憲法違反しても許される?
堀:倉持さんは、なぜ今改憲すべきだと思われますか?
倉持:憲法9条で「安保法制を阻止できなかったから」です。本来、憲法が定めている規範の枠を超える場合は、憲法改正の手続きを取らないといけません。憲法の規範の意味内容の実質が変更するときに、憲法を制定する最終的な「決定権」を持つ国民の意思が介在しなければ、そのように成立した法律はもとより憲法自体が名実ともに正統性を持たないからです。解釈改憲が問題なのは、改憲すべきであるのにその手続きをとらず、国民の意思を介在させずに憲法規範の中身を「解釈」で変えてしまうからです。安保法制は本来、憲法改正手続きを踏むか、現行憲法の下で成立させようとすれば、集団的自衛権を禁止した現行9条の政府解釈に反し違憲になるはずです。
しかし、そうはならなかった。憲法に本当に規範力があり権力統制機能を有しているのであれば、これは違憲として無効な法案のはずです。契約を守らなければ強制執行されるのと同様、これが法の持つ強制力であり、法への信頼の源泉です。しかし、憲法規範を遵守しない権力者を前に、憲法はそれを強制する手段を持ちませんし、今の違憲審査権は、具体的な事件を前提とする付随的違憲審査制ですので、抽象的に法案や統治機構の権限について違憲判断ができない。「付随的違憲審査制は十分に機能してない」と僕ら法律家の中にもそう思っている人も一定数います。
今の日本国憲法は、政府が憲法違反をしても強制的に守らせる仕組みがありません。法律に違反した場合、民事でも刑事でも強制力がありますよね。私は弁護士業務で日々扱っていますが、クライアントがカネを貸して返済してもらえなかったら、裁判に訴え出て強制執行できます。あるいは、クライアントが暴力を受けたら、警察に逮捕され刑が執行されます。しかし、どれだけ政府が憲法違反しても、強制執行できないのが今の憲法です。憲法規範の信頼と、それを守る機関の信頼というのは表裏一体だと思うのです。ドイツは国の制度の中で最も信頼されているのが憲法規範を強制的に執行できる憲法裁判所で、2位が憲法です。ともに90%前後の支持率。国会議員はその半分というのに比べても高い信頼を得ている。これは象徴的です。実務家の感覚として、法への信頼は社会への信頼と直結します。
三浦:倉持さんの意見に付け加えると、憲法改正を急がなくてはならないと思い始めたのは、昨年春に起きた南スーダンにおける「稲田防衛大臣の政治的スキャンダル」が発覚したためです。自衛隊が軍であることを受け止めきれていないし、統制規範についても確立しきれていないことがあらわになった。稲田さんの行動は実力組織のボスとしてふさわしい行動ではなかったのです。
また、結局真相を把握できている人がほとんど誰もいないという集団無責任体制も明らかになりました。メディアは短期間に過熱し、真相も得ないままに関心が薄れています。しかし、こういう問題にあたっては、各国ではきちんと議会が外部有識者を招いて調査委員会を設け、長い時間をかけて落ち着いた状況下で行うものです。
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