地下鉄サリン事件「被害者の会代表」の真実 妻として犯罪被害者として…高橋さんの32年
こうして、事件後から北千住に別れを告げるまでに17年の時が過ぎていた。もちろん、引っ越したからといって事件が完全に終わったわけではない。その後も相次ぐ容疑者逮捕に関してあらゆる対応に追われた。取材後、事件に関する比較的新しい新聞記事を探したのだが、あらゆるところにシズヱさんの姿があって驚いてしまった。地下鉄サリン事件被害者の会代表として「なかなか引退できないわよね……」と時折つぶやく。
「被害者の会の活動にゴールがあるとしたら何だと思いますか?」という質問にも、苦笑いだ。「ゴールねぇ……それよりも、私の年齢のほうが気になるわよね。それに、加害者がいる限り被害者の会は終わらないわよね」。70歳という年齢まで活動しても、「被害者の会」の終わりは見えていない。
今日も、愛するあなたと一緒に生きていく
北千住の河川敷をゆっくりと歩き、最後にご主人へ花を手向けるため、お墓へと向かった。大通りから一本奥に入った閑静な住宅街。そこに佇む、ひっそりとした墓地。「暑いから。ちゃーんとお水かけてあげなきゃね」。お墓にかける水を汲んで、奥へと入って行く。シズヱさんが埋めたという梅の木の隣に一正さんは眠っていた。
元々は一正さんと2人で買った小さな梅の盆栽だったが、今ではシズヱさんの背を越すほど大きくなった。穏やかな表情でひしゃくを手にし、墓石全体に水がかかるようにと、できるだけ上のほうまで手を伸ばす。お線香とお花を供え、シズヱさんとともに、静かに目をつむる。
「何かおしゃべりしましたか」と聞くと、意外にも「いや……ここに主人が眠ってるって感覚はないんです」とはにかんだ。事件後の裁判で、北千住から地下鉄を使って霞が関にある裁判所まで何度も何度も通ってきた。その道のりは、一正さんが霞が関へ出勤するために毎朝通ってきた道でもある。「だからかしらね。主人も一緒に電車に乗っているような気がして……家に帰っても主人に『ただいま』っていう気持ちなの」。
シズヱさんにとって、一正さんは決して過去の人ではない。一正さんの話をする時は、当時に戻ったかのように目がキラキラしていて、茶目っ気もたっぷりだ。「私ね、若い頃はとーってもわがままだったのよ。怒って主人に何日も口をきかなかったこともあるわ」と言われて、思わず「え、意外! 嘘だぁ」と大声を出してしまった。
シズヱさんはけらけら笑いながら続ける。「でもね、主人に『君は自分のことを世界の中心だと思ってない?』って言われたの。そこからですねぇ、人の話を聞くようになったのは」。だからこそ、事件後もふさぎ込んでしまうことなく、いろんな人の意見を聞いて、自分を見つめ直す。そういうことができているのだという。
「主人がいなかったら……今みたいな活動はできてないと思います」。かみしめるように話すシズヱさんの目はほんのり赤く、私は何も言えなかった。「やだ……泣けてきちゃった」。お墓になびく風の音だけが響く
「……主人にも聞こえてたんじゃない? こんなことする性格じゃなかったから……驚いてると思うわ」とまた笑顔が戻ったシズヱさん。「でも、喜んでいらっしゃると思います」と伝えると、照れくさそうな表情でお墓を後にした。
「私にできたんだから、誰だってこの立場になればできるのよ」。そんなことを言われても、取材する前の私だったら絶対に信じられなかった。だけど、今ならわかる。シズヱさんだって当たり前の毎日を送ってきた、ごくごく普通の女性なのだ。突然の事件で夫を亡くし、被害者になってしまっても「何も知らない、何もわからない」。誰だってそうだろう。しかし、彼女はそこで終わりにしなかった。
一正さんの言葉を思い出しながら「いろんな人に出会って、そういう人に学んで」生きてきた。その1つひとつの積み重ねが、代表としての彼女を支え続けてきた。
「今日も頑張るからね。見守っててね」。妻の顔でそう語りかけ、現在も彼女は被害者の会代表として壇上に立つ。
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