地下鉄サリン事件「被害者の会代表」の真実 妻として犯罪被害者として…高橋さんの32年
「ほら、昔はカーナビなんてないから、私が助手席で地図を見ながら案内役をしていたの。『そこを右折!』だとか、『そのまま直進!』とか言いながらね。それがすっごく楽しかったのよ」。
手帳には、叶わなかったお花見の予定も記入されていた。人と集まってお酒を飲むのが大好きだった一正さん。訪れなかった春。見ることができなかった桜。その時から、シズヱさんは桜を見るのが嫌になった。
事件後15年間北千住での生活
ガタンガタン。千代田線の通る音がする。シズヱさんも私たちも、話す声を張る。高架橋の下を抜けると、川を挟んで、大きく無機質な建物が見えた。シズヱさんの顔がにわかに曇る。
「ここから、拘置所が見えるのよ」
東京拘置所には、地下鉄サリン事件を引き起こしたオウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚が収監されており、収監後も信者にとって聖地とされている場所でもある。今でも時々、信者が塀の周囲をぐるぐる練り歩く光景が目撃されている。
地下鉄サリン事件の被害を受けた千代田線の車両からは、東京拘置所が見える。シズヱさんは、しきりに被害者が地下鉄を利用する時にかかる心の負担を心配していた。その風景が気になった私は、実際に拘置所を撮影するために1人で北千住駅の隣の小菅駅に向かった。電車に乗り込んでビデオカメラ片手に窓の外を眺めていると、ほどなくして進行方向右手奥に拘置所が見えてきた。
他の建物にさえぎられることなく視界に入ってくる。灰色の大きな建物が、ぐんぐん近づく。小菅駅に着いた時には、ホームから真正面にどんと構えていた。周りは住宅街なので、どうしても目が行ってしまう。拘置所まで歩いて10分の距離。事件に直接関係がない私でさえ、圧迫されていると感じた。
地下鉄サリン事件に関する被告の裁判は、必ず傍聴へ行っていたシズヱさん。出廷を拒否し、拘置所内で証言したいという被告人を裁くために、特別に拘置所の中へ入ったこともあるという。
「……特別な経験でしたね」と多くは語らない。「不思議よね。昔から遊んでたこの河川敷から、拘置所が見えるなんて」。
河川敷からだけではない。ご主人が仲間と花火を見ていた家の窓からも見えるのだ。
「別に、毎日住んでるわけだから気にしていなかったけど。カーテンをあけると、あ……って思うわよね」
事件後も北千住に住み続けた中で、彼女を苦しめたのは拘置所の姿だけではない。商店街にあるとある和菓子屋さん。「おいしそう!」と私たちが声をあげると、「あそこは老舗で人気なのよ。折角だから食べて行けば?」と笑って促してくれた。うれしい気持ちでお菓子を選び、シズヱさんも何か食べるか聞こうと振り返ると、傍にいたはずのシズヱさんが見えない。あたりを見回すと、ちょっと離れたところの道端で、「私はいらない」と首を振っていた。