地下鉄サリン事件「被害者の会代表」の真実 妻として犯罪被害者として…高橋さんの32年
不思議に思いつつ和菓子を頬張っていると「あの店の人ね、知り合いってほどじゃないんだけど……顔見知りというか。きっと私のことはわかってると思うの」とぽつりと話す。
事件直後、被害者の妻というだけでなく、自分が住むマンションに事務所を設けていたオウム真理教に対して、監視や立ち退きを求める署名活動などをしていた。シズヱさんを知らない人はこの街にいないのだ。「私が勝手に遠慮してるだけなんだけど……」。
しかし、自分から気まずい状況を回避しようと思ってもできるものではない。北千住の街を紹介してくれていたシズヱさんが、少しこわばった表情でうつむきがちに歩き始めた。不思議に思った瞬間、年配の男性が声をかけてきたのだ。
「大変だよなあ。はやく(麻原死刑囚を)死刑にしちゃえよ!」
「そうね……」
シズヱさんは少し困ったような表情を浮かべ、足早にその場から離れた。
「知り合いの方ですか?」と聞くと、困ったような顔で首を振る。狭い北千住、昔ながらの下町で、人と人との距離が近い。事件を知る彼らには、ちょっと会いづらい。
善意が彼女の居場所をどんどん減らしていた
事件前からの知り合いも、そうでない人も。友達も、顔見知りも、ほとんどの人たちはシズヱさんを「地下鉄サリン事件の被害者」として接する。気づかわれるということは、事件のことを気にかけ、忘れないでいてくれているということ。その善意はありがたいと思う反面、それが彼女の居場所をどんどん減らしていた。
「電車とかにいると、あ……って顔をされて、目が合うとそらされるけど、ジロジロ見てきたりする人もいる。地下鉄サリンの……ってコソコソ言われることもある」という。「私はただの主婦なのに……。私は普通に、買い物とかお天気の話をしたいだけなのよ」、「松本サリンといえば河野さん、地下鉄サリンといえば高橋……なんで私なの、って」。
いつもより感情的に話すシズヱさんの姿を見て、私は「冷静に、言葉を選んで話す人」という第一印象の彼女を思い浮かべていた。初めて彼女の笑顔を見た時に感じたギャップ。その違和感の正体はこれだったのか。ごくごく普通の女性だったからこそ、事件後に様々な変化が起きざるを得なかったのだ。