地下鉄サリン事件「被害者の会代表」の真実 妻として犯罪被害者として…高橋さんの32年

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「だって、本当に普通の主婦だったんだもの。48年間、なーんにもなかったのよ」。驚くほどあっけらかんと話すシズヱさん。その言葉通り、北千住には平凡で幸せだった頃の思い出があちらこちらに溢れていた。「ここは、タコ公園。よく子どもたちを連れて来たわ」。きゃっきゃと声をあげながら、今日も近くに住む子どもたちが走り回っている。シズヱさんは懐かしそうに目を細めた。公園の呼び名の由来になっているタコの形の滑り台は、当時のままだ。

下町ならではの小さな商店街を歩きながら、「あそこの先に有名な病院があって、子どもが熱を出したりした時は必ずそこに行ってたわ」、「ここの八百屋さんの奥さんは、本当におしゃべりで」と話は尽きない。しかし、そこにあるのは楽しい思い出ばかりではない。ふいに、少し硬い口調で「ここは、主人の葬式を行ったところ」とつぶやいた。

お通夜には、知り合いや職場の人はもちろん、事件を知った人々が商店街の通りにそってずらりと並んでいたという。楽しい思い出話ばかり聞いていたところに急に事件の影が浮かび上がってきて、どきりとした。北千住は、事件前の楽しい思い出と、事件後の苦しい思い出、その両方が混ざり合う街。シズヱさんの複雑な想いをそのまま映し出しているように見えた。

あの日、何が起きたのか

商店街を抜けると、荒川が見える河川敷に出る。広く、どこまでも続くように思える河川敷。青空と輝く緑の芝生が眩しい。花摘みをするおばあちゃんと孫。キャッチボールをする少年。微笑ましい光景が、そこかしこに広がる。「主人と子どもも、ここでキャッチボールしてたな……」。ここにも家族の思い出がたくさん詰まっている。

「主人が仕事仲間と飲むのが好きで。荒川の花火大会の時は、いつもビール片手にベランダに出て、4時から飲むの」といたずらに笑う。彼女が持って来てくれた家族写真のアルバムをめくりながら、いきいきと昨日のことのように語られる家族との思い出。「これが、長男、次男……。家族でよく旅行に行ったんです。いろんなところへ。主人の運転で」。

アルバムのページをめくるたび、顔がほころぶ。「主人ともね、毎年結婚記念日に旅行をしていたの。そのたびに子どもたちがいつもサプライズをしてくれて。みんなでお金集めて『これで行っておいで』って渡してくれたり、旅行先に着いたら子どもたちから大きな花が届いていたり。本当に、楽しかったですね」。

1995年の春も、2人は結婚記念日に北海道へ行く予定を立てていた。会社にいる一正さんに、北海道旅行のパンフレットを持ってきてもらおうと、朝、電話をかけていた。鳴り続けるコール音。一向に電話に出る気配がない。おかしい。そう思いながら、シズヱさんも自身の勤務先である銀行へと向かう。

普段通りの仕事を始めてほどなくして、真正面にある大きなテレビにテロップが流れた。「日比谷線内で事故」という文字。真っ先に日比谷線で働く長男を心配した。長男に電話をかけてもつながらない。不安が募る。その時、電話が鳴った。シズヱさんの妹からだ。「今、テレビを観ていたのだけれど、地下鉄の事故、担架で運ばれていたのってお兄さん(一正さん)じゃないの?」全身の血の気が引く。

遺品の中にあった北海道旅行の予定表(筆者撮影)

どうして? 勝手に流れる止まらない涙と震える体。銀行の上司に上野の営団地下鉄の本社に連れて行ってもらい、そこで、妹の言っていたテレビ番組を観た。「ああ、間違いなく、主人だ」。全身から力が抜けたような気がした。自分の目で、その姿を確認した。「まさか、自分に関わるなんて、まさか、地下鉄であんなことが起きて主人が巻き込まれるなんて、全く思ってもいなかったの」。

遺品の中には、北海道旅行の行程メモと手帳があった。メモは、鉄道員らしい几帳面な一正さんの姿が見て取れた。定規を当てて引いたまっすぐな線と読みやすい文字。分刻みの移動計画や、昼食の場所、予定時刻まで記入されている。その細かさに、思わすシズヱさんの口元も緩む。

次ページ叶わなかったお花見の予定も記入されていた
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