さらに、江戸時代はコスプレ文化さえありました。歌川広重が描いた「東都名所高輪二十六夜待遊興之図」という浮世絵があります(江戸東京博物館所蔵)。二十六夜待ちとは、旧暦七月二十六日(現代だと八月中旬から九月中旬の間)の夜に、念仏を唱えながら昇ってくる月を待つというイベントですが、信仰的な意味合いより、月が昇る明け方まで飲んで騒ぐオールナイトのお祭りとして栄えました。当日は、先にご紹介したすしや天ぷらなどの屋台が並び、タコのコスプレで参加した男たちが楽しむ様子も浮世絵に描かれています。
江戸時代のコスプレのクオリティの高さは、『蝶々踊図屏風』にも見られます。これは、江戸ではなく京都で1840(天保10)年ごろ大流行した仮装踊りのお祭りですが、タコやすっぽん、なまずのコスプレをして踊る大勢の人達が描かれています。まさに現代の渋谷のスクランブル交差点でのハロウィンのようなにぎわいです。
ほかにも、挿絵の入った読み物の黄表紙は、今でいうマンガのようなものですし、当然ながら、吉原や岡場所という性風俗産業、春画などアダルト産業は、独身男性過多の需要に応じて発展した産業でもあります。
現代の結婚しない男たちに通じるもの
「宵越しのカネは持たない」という江戸のソロ男たちの消費意欲は旺盛でしたが、それは決してモノ消費のような所有価値を重視した価値観ではありません。むしろ、承認や達成という人間の根源的な欲求を満足させようとする意欲が強く、彼らにとって消費行動とは「幸せ感の獲得」という精神価値充足の手段でした。これもまた、現代の結婚しない男たちに通じるものがあります。
このように独身男性が多かった江戸と現代は共通点が多く、日本はすでに一度大きなソロ社会を経験していると言えます。だからといって国が滅びたわけではありません。むしろ、彼ら江戸の独身男性たちは、子孫こそ残せなかったものの、今に続く多くの文化や産業を残したとも言えるでしょう。
さらに、もうひとつ重要な視点。江戸は循環性のある「つながる社会」でもありました。灰買いや肥汲みはもちろん、古紙や古釘、抜けた毛髪に至るまでリサイクルしていました。それは、人々の価値観も、物事や人はすべてつながっており、自分の行いは巡り巡って自分に戻ってくるという概念に基づいています。
一人で暮らす人たちが多い社会だからこそ、個人単位で人とつながる意識を大事にする。それこそが、これから訪れる未来のソロ社会において、私たち一人ひとりの生き方のヒントがある気がします。もちろん、江戸時代がすべてバラ色の時代とは言えませんし、江戸回帰を推奨するものでもないですが、これほどまでに現代との類似点があったことは興味深いと思います。
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