P.T.バーナムの手にかかれば、誇大表現・誇大広告など当たり前、また、大きなホールやテント劇場を作って、盛り上がりを大衆に「体感」させ、また、評論家や地域住民の批判に対して、「われわれは人々を楽しく幸せにしているんだ」という「いい話」要素を盾に、徹底的に居直る。
つまり、この映画のマーケティングは、映画の中のP.T.バーナムのマーケティング手法に、ぴったり沿っているのである。そう考えると、実に見事なメタ構造であり、ここまで私が述べてきた違和感など、正直どうでもよくなってくる。「『ラ・ラ・ランド』の製作チーム」という文言でいいじゃないかと。
P.T.バーナムのショーと同じような感覚
おそらく、19世紀半ばのニューヨークで、P.T.バーナムのショーを実際に見た人たちも、同じような感覚だったのではないか。「何だかうさんくさいなぁ」→「でも面白いぞ」→「気がついたら、盛り上がっていた」→「訳もわからず泣いていた」……。
2月の日本は、平昌五輪一色だった。テレビは、メダルを獲得した選手たちへの「感動をありがとう!」といった言説に支配されていた。努力、根性、愛情……を根拠とした、言わば「理由のある感動」の大安売りだ。
そんなタイミングだったからこそ、この映画のシンプルなストーリーに積み重ねられ、厚みを増していく、見事な歌と踊りを「体感」することで、「『理由のある感動』疲れ」のようなものが身体から排出されていくという、一種のデトックスのような感覚を味わったのだ。
気持ちよかった。気持ちよく泣いた。冒頭で書いた「理由のない感動」に、唯一理由があるとしたら、そういうことだ。
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