『ラ・ラ・ランド』との違いとして、この映画は、のべつまくなし歌い・踊っているということがある。『ラ・ラ・ランド』に比べ、ストーリーの起伏は少なく、何か問題や障害が起きても、歌い踊っている間に解決し、物事は前に進んでいく。正直、ストーリーにそれほどの深みは感じられなかった。
しかしその分、その歌や踊りに、身体中で「体感」「没入」できる。事実、私が見ていて、無意識に涙が流れてきたのも、先の冒頭の「The Greatest Show」のシーン、ゴールデングローブ賞で最優秀主題歌賞にも輝いた「This Is Me」のシーン、歌姫「ジェニー・リンド」がホイットニー・ヒューストン並みのキレのあるボーカルで聴かせる「Never Enough」のシーンなど、要するに、ストーリーの機微で「泣いた」のではなく、圧倒的な歌や踊りという力技で「泣かされた」のだ。
【3月11日10時40分追記】初出時、「アカデミー賞主題歌賞にも輝いた」と記述していましたが、「ゴールデングローブ賞で最優秀主題歌賞にも輝いた」に訂正しました。
と、ここまでを読むと、「何と俗っぽい映画か」と思われるかもしれないが、そういう見方に対してフォローするのが、3つ目の理由となる、閉塞的な時代の空気に呼応した「いい話」要素の有効活用である。
「いい話」要素がヒットをたぐり寄せた
ネタバレを防ぐために詳述は避けるが、映画の途中で、「ユニークな人」(マイノリティ)が決起するシーンがある。そこで歌われるのが「This Is Me」だ。「マイノリティの私たちだって、輝ける場所があるのよ」という内容の曲である。
多少うがった見方になるが、この歌によって、この映画全体が、差別を否定し、マイノリティの人権を尊重する「いい話」として機能し始める。そしてそれは、とりわけトランプ政権下のアメリカでは、時代の空気が求めるものでもあっただろう。逆に、このような「いい話」としての要素がなければ、ここまでのヒットには、決して至らなかったはずだ。
ここで、私が注目したいのは、これまで挙げた「『ラ・ラ・ランド』の威の借用」「『体感ニーズ』との合致」「『いい話』要素の活用」という3つのヒット要因は、まるまる映画の中のP.T.バーナムが用いていた方法論だという、驚くべき事実である。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら