「ベートーヴェン」と「第九」の知られざる真実 思わず人に話したくなる蘊蓄100章

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61. 独創的な伴奏を持つこの交響曲は〈静と動〉の対比が強調され、一度耳にしたら忘れないインパクトを持つ

62. この『第5番』の苦悩から歓喜に至る図式は劇的構成の手本としてのちのロマン派の音楽家に影響を与えた

63. シューベルト、ワーグナー、ブルックナー、ブラームスなど多くの音楽家がベートーヴェンに影響を受けた

64. 『交響曲第6番(田園)』は古典派交響曲としては異例の5楽章構成で田舎を訪れたときの感情が描かれている

65. 〈田園〉という標題はベートーヴェンが制作した交響曲のなかで唯一、彼自身によってつけられたものである

66. 続く『交響曲第7番』は1812年の作曲当時は評判が芳しくなかったが、最も完成度が高いとされる

貴族の娘テレーゼへの恋心を表現した曲

67. ベートーヴェンは終生ピアノを愛したが、当時ピアノという楽器は人気が高まりつつある途上だった

68. 彼の三大ピアノソナタといわれるのが『第8番(悲愴)』『第14番(月光)』『第23番(熱情)』である

69. それに加えて中期に制作されたピアノ曲『エリーゼのために』はいまも多くの人々に愛されている

70. この曲は貴族の娘テレーゼへの恋心を表現したもので原稿には〈テレーゼのために〉と記されていたという

71. しかしそのベートーヴェンのサインが悪筆だったため〈エリーゼ〉と誤読され現在もそのまま伝わっている

72. 作曲家としてのベートーヴェンの要求を満たすためには、その楽曲を演奏する人数の増加も必要だった

73. オーケストラは大人数となりそこから生み出される強音や繊細な弱音は当時の人々の心をさらに刺激した

74. しかし作曲家ベートーヴェンは体調不良や甥の後見人としての責任から1818年に再びスランプに陥る

75. その二度目のスランプを救ったのは複数の独立した声部からなるポリフォニーと対位法の研究であった

76. ベートーヴェンはこの手法によって後期の名曲『ミサ・ソレムニス』『交響曲第9番』等を生むのである

77. ベートーヴェン最後の交響曲『第9番』は1824年にロンドンのフィルハーモニー協会の依頼で作曲された

78. 第4楽章に独唱と合唱を効果的に使用しているが、これはシラーの「歓喜に寄す」という詩に曲をつけたもの

79. 実はベートーヴェンがこの詩に惹かれたのは、まだ『交響曲第1番』も制作していない22歳の時のこと

80. 以来長きにわたり構想を温め続け、『交響曲第7番』を完成させた後の1815年頃から『第9番』に着手する

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