「新婚旅行から帰ったら都心に引っ越そう。もう通勤で苦労するようなことはさせないよ。職場に自転車で気軽に行けるところに住むんだ。家族が増えるときのことも考えて寝室が4つや5つはある家に住まなくちゃね。週末は別荘だ。暖炉のある別荘がいいな」
「別荘は1つだけじゃないのでしょ。山にも海にもあるのでしょ」
と言ったメイの瞳は乾いている。
「いいね。そうしよう。そのときの気分によってどちらにいくかを決めようじゃないか。とにかく君にはぜいたくをしてもらう。服やアクセサリーは、高価なものを次から次へと身に付けさせてあげる」
「私は妹と暮らしているの。妹を1人にすることはできないわ」
「家に部屋はいっぱいある。妹さんも一緒に暮らせばいいさ。ねえ、メイ。僕は君の望みならなんでもかなえることができる。僕と結婚すればきみは幸せになる。保証するよ。僕と結婚しよう」
カツタはメイが彼の首に両腕を回してきて、「OK」というのを待った。しかしメイは表情乏しく
「もう遅いわ。家に帰らなくちゃ」
と言って立ち上がった。
カツタはメイのことばに拍子抜けしたが、落胆はしなかった。カツタには自信があった。幸せな暮らしを目の前に突き付けられて、断ることができるはずなどない。メイの態度は、幸せの光があまりにまばゆくて視界に霧がかかってしまったせいだろう。明日になれば大きな声で「OK」と叫ぶに違いない。そのときには「1日経ったらこっちの気が変わった」と冗談を言ってやろうか、などと考えた。
メイはカツタの言葉をこう解釈した
メイがシェアハウスに帰宅するとルルが待ち構えていた。
「すてきな彼とはどうなった? 告白されたんじゃないの」
ルルは目を輝かせて聞いたが、対照的にメイは冷めた表情で言った。
「結婚してほしいって言われたわ」
「プロポーズ? よかったじゃない」
「ちっともよくないわ。あの男が新婚旅行にどこに行こうといったと思う?『君の知らない景色を見せてあげる』なんて言っていたけど、私たちも行ったことのある場所よ」
「どこだろう。ハワイ? グアム? 沖縄?」
「日光のそばにあるテーマパークよ。世界の建物や世界遺産のミニチュアが見られるところ。新婚旅行に何日もかけるとかいってたけど、日帰りで行けるじゃない」
「ハネムーン・ベイビーは無理ね」
「それだけじゃないわ。おカネもないくせに都心に住むって言っていたから、家は買わずに永遠に借家住まいをするつもりね。寝室が4つや5つなんて言ってたからシェアハウスに住むつもりなのよ。ありえないわ。家から職場へはシェア自転車で通えですって。週末は別荘って言ってたけど、それもシェアリング。タイムシェアってやつよ。気分によって山と海のどちらを借りるか決めるんだって。服やアクセサリーも買うつもりは全然ないの。シェアリング・サービスを使うっていってたわ」
「ずいぶんとしっかりした人ね」
「あのシェアエコ男、最後に何を言ったと思う? あなたも一緒に住んで夫を2人でシェアしろですって! 冗談じゃないわ、シェアリング・ハズバンドなんて」
――本作はO. Henry作『A Lickpenny Lover』 のオマージュです
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら