資産家からのプロポーズに彼女が怒ったワケ 読み切り小説:シェアリング・エコノミー

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メイの願いはこの生活から一刻も早く脱することだ。二十歳前後の頃ならば決してそんな考え方はしなかったのだが、適齢期の彼女はこの状況から連れ出してくれる男をつかまえたいと真剣に考えている。ダメ男と付き合う時間はない。それは上りと下りの電車を乗り間違うくらいにまったく無駄なことだ、とメイは思っている。

安倍カツタは、オンライン・ショッピング・サイトのナイル社創業メンバーの1人で、上場を機に持ち株のほとんどを売却して多額の資金を得た資産家である。とはいえまだ若く、年齢は34。取締役会の構成メンバーとして名を残してはいるものの、会社に出るのは月に1度の取締役会のときだけだ。

いずれはなにかまたインターネット関連ビジネスを立ち上げたいとも思っているが、いまは仕事らしいことはなにもせず、湘南に住んで暖かい季節は波に乗り、その他の季節は自宅の海の見えるアトリエで画を描いているか、世界のあちらこちらを旅してまわっている。

富を有し、外見も人並み以上なのだが、どういうわけだかいまだ独身で恋人もいない。唯一の悩みといえばそれで、そろそろいい相手に出会わぬものか、とカツタは思っている。

後学のために一度経験しておこう

年末のある夜。カツタは1人には広すぎるリビングルームで考えていた。明日はナイル社の取締役会があって会社のある新宿に朝から行かなくてはならない。いつもなら車で行くのだが、夜には忘年会があって酒を飲まねばならない。混雑した通勤電車に乗ることなどありえないし、さてどうやって新宿まで行こう、ハイヤーで行こうか、今夜のうちに新宿に出てホテルに泊まるべきか。

そしてふと思いついたのが、カープール、すなわち個人所有の乗用車に燃料代と有料道路代の一部を負担して乗せてもらう方法だ。カツタはこれまでにカープールを利用したことはないが、後学のために一度経験しておこうと思ったのだ。カープール利用者のマッチングサイトをのぞいてみたところ、相乗りをさせてくれる相手は意外にも簡単に見つかった。

メイは通勤時にはシェア自転車で最寄りのバス停まで行き、そこからバスに乗って郊外のターミナル駅へ行く。そして電車で新宿に出る。通勤ラッシュの時間帯に職場まで約2時間の行程である。通勤は苦痛だった。雨の続く日や寒さの厳しい季節は特につらく、そのような日だけは車で通勤することにしている。車は持っていないが、幸い家のすぐ前に大手のタイックス社が経営する駐車場があって、そこにカーシェアリング用の車がある。

タイックス社経営の駐車場ならどこでも乗り捨てることができるので、会社で仕事をしているあいだの駐車料金は必要ない。カツタがカープールのマッチングサイトをのぞく少し前、メイはシェアハウスの自室の窓から木枯らしの吹きすさぶ街路を見て、明日は車で通勤しようと決めた。ウェブサイトで車の予約をし、そして、燃料代と高速道路代を節約するために、カープールのマッチングサイトに登録をした。

待ち合わせた場所で小型車が目の前に止まったとき、カツタはそれが自分の待つ車だとは思わなかった。マッチングサイトには車を提供する人物の小さな顔写真が掲載されているのだが、それとはまったくの別人が運転席に座っている。性別からして違うのだ。写真は五十前後の目に力のない黄ばんだ肌の冴えない男だった。ところが目の前に現れたのは、引き込まれそうな丸い瞳と波頭のように真っ白なほおの美女なのだ。

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