「父母と娘のトリプル介護」をする作家の人生 「5000通の葉書」が命を繋いだ

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どんな苦難にもめげず、自分の失敗も包み隠さず話す。そんな脇谷さんの“ぶっちゃけトーク”に共感し、励まされたという人は多い。今はインターネットを通じてどこでも聴けるので、遠く離れたリスナーからも反響がある。

作家になるのは無理と思ってた

よくしゃべり、いつも快活な脇谷さんだが、幼いころは真逆。黙って座っている静かな子どもだったそうだ。

脇谷さんが中学1年のときに父と

生まれ育ったのは大分県佐伯市。海と山に囲まれた自然豊かな地で、父は郵便局員を、母は小学校の代用教員をしていた。結婚後に教員を辞めた母は、脇谷さんと妹を産んだあとも創作ダンスを教えるなど、活動的な人だった。

貧血で身体も弱い脇谷さんは小学校の朝礼で毎回のように倒れ、男子にからかわれた。休み時間に逃げ込んだのは図書室だった。

「そこで本に出会いました。たくさん読むと、すらすら書けるじゃないですか。作文の授業が始まり、先生にほめられると、私をいじめていた子たちが“オーッ”と歓声を上げて。これだけは勝てると思いました」

実家で暮らしたのは中学まで。進学校の佐伯鶴城高校に進み、家が遠いため寮に入った。当時、高校生に人気だった雑誌『高一時代』『高二時代』を愛読し、詩の投稿を続けた。

「結構な確率で載ったんですよ。鳶をしていた同級生が落ちて亡くなったことを書いた詩を、詩人の丸山薫さんが絶賛してくれて最優秀賞に選んでくれたんです。それで、書いて食べていけるかもと、錯覚してしまうんですね

関西外国語短大に進学。卒業後も関西にとどまり、全日空に就職して、グランドホステスになった。働きながら詩や童話を書いていたが、発表するあてはない。

全日空のグランドホステス時代

「作家になりたいけど叶わないと思うんだよね」と会社の後輩にもらすと、「やる前から無理だと思ってるの?」と指摘され、ドキッとした

「失敗するところを他人に見られたくないとか、プライドが高かったんでしょうね。そのときは頑張ってもプロにはなれなかったけど、1年たったら変なプライドが消えていたんです」

23歳で全日空を辞め、研究職の男性と結婚した。先に夫の父と知り合い、すっかり意気投合したのだという。

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