45歳で逝った「奇跡の投手」を支えた妻の献身 盛田幸妃が送った壮絶なプロ野球人生の裏側
「奇跡のストッパー」と言われた盛田幸妃(もりた・こうき)という元プロ野球選手を知っているだろうか。1988~1997年まで横浜大洋ホエールズ→横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)で、1998~2002年までは近鉄バファローズでリリーフエースとして名を馳せた投手だ。
そんな幸妃さんは、北海道・函館有斗高校(現函館大有斗)で3度、甲子園に出場。1987年のドラフト会議で、当時の横浜大洋ホエールズから、1位指名されプロ入り。この年、各球団がドラフト1位で指名した選手たちは、後にメジャーリーガーになった、千葉ロッテマリーンズの伊良部秀輝選手や、2000本安打を達成した、中日ドラゴンズの立浪和義選手など、そうそうたる顔ぶれだった。
あの大魔神・佐々木投手と並び称される球界のスター
そして、プロに入ると、どんな強打者にも向かっていく強気のピッチングで、中継ぎ投手として大活躍。1992年には、最優秀防御率のタイトルを獲得し、後のメジャーリーガー、大魔神・佐々木主浩さんにつなぐ必勝リレーから、2人で「ダブルストッパー」と並び称された。
そんな幸妃さんをプロ野球選手の妻として支えたのが、倫子(ともこ)さんだ。
大学卒業後、日本航空のキャビンアテンダントとして、世界中を飛び回っていた倫子さん。そんな2人が出会ったのは、幸妃さんがタイトルを獲得した年のシーブンオフのこと。知人の紹介で知り合い、交際をスタートする。
幸妃さんの自宅を訪れたある日、1枚の写真が、倫子さんの目に留まった。そこに写っていたのは、一人の、幼い男の子。幸妃さんの2つ年下の弟、こうじさんだった。兄弟とても仲が良く、いつも2人で元気に遊んでいた。ところがこうじさんは、幼くして、リンパ肉腫というがんに冒され、わずか5歳で亡くなっていた。
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