24歳でプロ野球をクビになった男が見た真実 初めて挫折を味わい、勝負の世界で財産を得た
「高森、6年間やってきた中で成績も思わしくないし、来年は契約をしない方向で考えている」
ゼネラルマネージャー(GM)である高田繁氏と交わした初めての会話は、戦力外通告だった。慎重に言葉を選び、最大限の配慮を見せる姿勢は、高田氏なりの去って行く人間への気遣いだろう。
2012年10月2日、横須賀にある横浜DeNAベイスターズの合宿所。その応接室で私はクビを宣告された。無機質な部屋で淡々と続く会話。記憶は定かでないが、「プロ野球選手」でなくなってしまうのに要した時間は10分もかからなかったであろう。そこに至るまでの時間と比べれば、ずいぶんとあっさりしたものだと、どこか他人事のようだったのをよく覚えている。
選手がスーツを着て現れる意味
一連の手続きが終わり、合宿所を出た。抜けるような秋の空が気持ちよく、その日も横須賀港に浮かぶ自衛隊の船は鈍い光を反射させていた。グラウンドに入り、選手、コーチ、スタッフと挨拶を交わす。選手の私が、この日にスーツを着て現れるという事がどういうことかを、誰もが説明せずとも知っている。1人ひとりと挨拶を交わす中で、向こうから走ってくる選手がいた。梶谷隆幸。後に2014シーズンのセリーグ盗塁王を獲得する、同期入団の同級生である。
「カジ、俺、クビになったわ」
泥だらけのユニフォームで私の前に立った梶谷の目には、涙が浮かんでいた。
「オマエ、泣くなや。オマエが泣いたら、俺も泣くやろう」
入団以来6年間、ともに一軍を目指し戦った戦友の涙は、それまでの日々を振り返らせるのには十分だった。
「カジ、俺の分まで頑張れ。オマエは、1年でも長くやってくれ」
固く握手を交わした後、梶谷は練習へと戻っていった。私がクビになろうがなるまいが、明日の活躍を夢見るプロ野球選手たちの勝負の日々は続いていく。ロッカーを整理し、私は家路についた。ゆっくりと沈んでいく太陽を見つめながら、そういえばこんな時間に家に帰ってきた事などなかったと、ふと思う。強く差し込んでくる西日が、自分がクビになったという事実をより濃いものにする。家のソファーに腰掛け、ぼんやりと天井を見上げていた。
「さぁ、どうしようかな」
24年間、野球しかやってこなかった自分が初めて味わう、先行きの見えない不安が私を襲っていた。