24歳でプロ野球をクビになった男が見た真実 初めて挫折を味わい、勝負の世界で財産を得た
6年目。自分の立場は十分に理解していた。試合に出られないという立場も、受け入れる事も出来た。この年でクビになるのは誰の目にも明らかだったが、どんな辞め方になるかは私にとって非常に重要だった。それは、私がプロ野球で最も尊敬する人物の1人、田代富雄氏(現楽天打撃コーチ)が横浜を去る時に話してくれた言葉が心に刻まれていたからである。
「最後にみんなに覚えておいて欲しい事が1つある。みんな、プロ野球をクビになる事は、悪い事じゃないんだ。そもそも、プロ野球選手になれる事自体、すごいことなんだ。この世界は必ずいつかクビになる。それがいつになるかはわからないけど、いつかクビになった時は、どうか『この世界に入れた』という誇りを持って、胸を張って辞めていってほしい」
普段、皆の前で話すということをほとんどしない田代氏は、「今日は酔っているから」という前置きを何度も何度もした上で語ってくれた。それはとても愛情に満ちあふれ、クビが現実のものとして背後まで迫っている私にとっては、非常に勇気づけられる言葉であった。
「来年できるかも」という淡い期待も…
私のプロ野球生活で最後の1年は、素晴らしい年だった。試合に出られない状況を受け入れ、その中で出来る事を模索し、必死に練習し、声を出した。少ないチャンスではあったが、徐々に試合に出られるようになり、結果も出始め、後半は自分でも納得するプレーが出来るようになった。確かな手応えを感じていたため、「来年もできるかも」という淡い期待を抱いていた。
しかし予想通り、戦力外通告の解禁日である10月1日、電話が鳴った。その日は休養日で家にいた。朝10時くらいの出来事だったと記憶している。
「明日、10時45分に来てくれ。スーツで」
なるほど、ついに来たか。心の準備はとっくに出来ていたためか、大きな動揺もなかった。翌日、私は戦力外通告を受けた。
野球を辞めた今、さまざまな縁の中で、さまざまな仕事をさせて頂いている。こうして記事を書かせていただいたり、全くスポーツとは違う分野で仕事をさせていただいたり。その一つひとつが非常に新鮮で、楽しい。さすがにプロ野球のように毎日しびれるような勝負を繰り返す日々ではないが、好奇心の赴くままに仕事をし、そこで生まれた縁の中でまた新たな世界が広がっていく日々に、無限の可能性を感じている。