24歳でプロ野球をクビになった男が見た真実 初めて挫折を味わい、勝負の世界で財産を得た

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野球を始めたのは小学校3年生の時。父と兄の影響でイヤイヤだった。何度も「辞めたい」と思ったが、言い出す事ができずズルズル続けているうちに中学生になった。野球よりもはるかに勉強が好きで将来は考古学者になろうと思っていたが、成長期が訪れた中学校2年生の時には、1年で身長も体重も飛躍的に大きくなった。今までできなかった事が急にできるようになり、たまたま1つの大会で鬼神のごとく打ちまくった事をきっかけに、有望中学生の仲間入りを果たす。

入団会見(いちばん左が高森氏、中央が梶谷選手)

迷ったあげく野球の道を選んだ私は、岐阜県の強豪校、中京高校へ進学する。1年生から捕手としてレギュラーとなり、3年生のときには主将も務めた。甲子園に出場する事はできなかったが、2006年の高校生ドラフトで横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)から4位指名を受け、入団した。高校に進む際、「絶対に、3年でプロになる」と心に誓い、強い意志で練習を積んできたからこそ手に入った成果だと思っている。

レベルの違いに圧倒される日々

1年目。キャンプ初日で、辞めたくなった。球の速さ、スイングの速さ、足の速さなど、桁違いの「スピード」のレベルに圧倒されていた。捕手として入団したが、各投手の球種と特徴や投手によって異なる球種のサイン、ベンチから出る作戦のサイン、相手打者のデータなど、つい先月まで高校生だった私に処理しきれるわけもない情報量とレベルの高さに、全くついていけない状態だった。

加えて、当時のトレーニングコーチからは「史上最低の身体能力」と呼ばれ、ブルペンでは緊張のあまりイップス(ボールが投げられなくなる症状)になるなど、想定できる範囲では最悪のスタートを切ったと言えよう。シーズンが始まっても試合に連れて行ってもらえず、横須賀に残って練習をする日々。私1人にコーチが3人付くという贅沢な環境で猛練習を積み、1年目が終わる頃にはようやくプロ野球選手と呼べるくらいの能力になっていた。

3年目に2軍で月間MVPを受賞した。『プロ野球戦力外通告~クビを宣告された男たち~』は12月30日(火)夜22時からTBS系列で放送(フェイスブックページはこちら

2年目。前年の猛練習の甲斐あって、2軍でレギュラーとなる。8月にはイースタンリーグにおいて史上最年少でサイクル安打を達成し、奇跡的な成長曲線を描いた。

3年目。イースタンリーグで最多安打を放ち、技能賞、ビッグホープ賞を受賞。打率.309、15本塁打、56打点という成績を残し、1軍でも初安打を記録。1年目の姿からは想像もつかないほどの成長を見せ、高卒3年目としては及第点の成績だったといえよう。

そんな中、その年のドラフトでベイスターズが1位指名したのは、筒香嘉智。2年目から一塁手にコンバートされていた私と同じ左打ちの内野手だった。

何か嫌な予感がするとともに、雲行きが怪しくなっていくのを、確かに感じていた。

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