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著者撮影:学部向けミクロ経済学(今年は教えていない)の教科書たち。分厚い
学生からのシビアな評価は仕組み化されている
さて、前編(スタンフォードで痛感、教員はラクじゃない)で書いてきたのは、いち大学教員の目から見た「教えること」についての話だった。そして、教員の労力が残念ながらかなりの部分、学生の苦情処理に使われてしまっている、そんな面もあると紹介した。
もっといえば、そもそも苦情が来ないよう予防線をはろうとして、神経や労力を浪費しているのだ、ということなのかもしれない。
こんな風になってしまう大きな理由として挙げられるのは、学生が教師をかなりシビアに評価する仕組みがあり、学生のほうにも遠慮がないことだろう。
僕が今まで教えたことのあるハーバード(学生時代にティーチングアシスタントとして)、イェール、コロンビア、スタンフォードの各大学では、学期の最後に必ず学生による授業評価が行われた。アメリカの大抵の大学にこういった制度があるのではないかと思う。
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