創業140年の料亭が挑む「料亭文化」復活の道 接待減に老朽化…苦しむ18料亭が手を組んだ

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次は百年料亭ネットワークの正式な設立総会を宇喜世で開催しないといけない。

設立総会に合わせた講演会を行った会場も、これまた開業106年の映画館だ(写真:上越タイムス社提供)

2017年3月7日と、日は決めた。総会と併せて講演会をしたい。場所は「高田世界館」。これも高田に残る、開業106年の日本最古の映画館として注目されている場所だ。

講演会を開催するにあたって、誰か「料亭を核とした街づくり」というテーマで話せる人はいないか、大島氏は探した。だが、なかなか適した人が見つからない。

そこに東京の出版社に勤務する高校の同級生から連絡が来た。「いい人が見つかった。事情は先方に話してあるから、すぐに一緒にお願いに行こう」ということになった。

その「いい人」が筆者である、不肖私、三浦展だった。私も大島氏たちと同じ新潟県立高田高校の卒業。その高田高校の東京での校友会で私が2月に講演をした。テーマが東京の下町についてであり、おのずと古い街並みの魅力、それをどう残すかといった話にもなった。しかも建築にもある程度詳しい、ということで私に白羽の矢が立ったのである。

「宇喜世」の大広間(写真:筆者提供)

高田の街の衰退については過去20年近く私も寂しい思いをしていた。そのことが『ファスト風土化する日本』という本を書くひとつのきっかけでもあった。だが、新潟県人、なかでも高田の人はおとなしい。なかなか街を盛り上げる人が出てこない。誰かそういう人はいないのかなあとずっと思っていた。

世界的建築家・隈研吾氏も参加

そこに大島氏が現れたのだ。大島氏は、高田の人にしては出色の行動派である。話を聞いていて、彼なら高田の街を再生できると直感した。

しかも気に入ったのは、大島氏が宇喜世だけが再生できればいいという考えではなく、宇喜世のある仲町全体、高田全体、あるいは全国の古い料亭全体が栄えることを構想している点であった。

私は福井市で開花亭という、やはり明治初期に創業した老舗料亭の社長・開発毅(かいほつ たけし)氏と10年来懇意にさせていただいてる。そして拙著『人間の居る場所』に書いたとおり、開発氏もまた、自分の店だけが繁盛するのではなく、開花亭のある浜町(はままち)全体にかつてのにぎわいを取り戻したいという思いをお持ちであり、私はそれに賛同し、ささやかながら協力をしてきたのである。

その経験があったので、私は大島氏に建築家の隈研吾氏を紹介することにした。隈さんと私は20年来のお付き合いをさせていただいているし(20年前は世界的建築家になるとは思っていなかったのだが)、開発氏が10年前に、開花亭の新館の設計を隈さんに依頼したいが、どう思うかと聞かれたこともあるという不思議なご縁もあったからだ。

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