大正から昭和にかけて作られたと思われる大広間、故・高松宮殿下が来られた座敷などは、デザインの凝り方を見ても、往時の繁栄を偲(しの)ばせるものだ。
ただ、料亭の経営のほうはというと、近年厳しい状況が続いている。バブル時まではなんとかなっていたが、その後景気が悪化するにつれて悪化していった。官官接待が禁じられ、役所も企業も料亭で宴会を開くことが少なくなった。宇喜世のみならず、高田にいくつもあった料亭はしだいに減っていった。
金融機関には「壊してビルにしろ」と言われ……
「だから、僕が宇喜世を買い取ると早速金融機関が来て、壊してビルにしろって言ってきましたよ。100年以上の建物ですから、担保価値もまったくありません。でもおかしいでしょ? こんなすばらしい料亭に価値がないって」
こうした歴史ある街の歴史ある料亭を、やすやすとマンションやオフィスビルにしてはもったいない。だが、いろいろな娯楽、グルメがいくらでもあふれている現在、普通にやっているだけでは料亭は復権できない。それに建物自体かなり傷んでいる。修理だけでも相当費用がかかるが、その資金がない。悩んだ大島氏は、なんとか国に補助をしてもらえないかと国土交通省を訪ねたが、一企業に補助はできないと言われた。
「じゃあ、どうすればいいんです?」と大島氏が聞いたところ、「古い料亭を維持しようという国民の盛り上がりが必要だ」というお答え。「私も国民ですが」と冗談を言うと、「そういうことではなくて、料亭文化、建物を残すべきだという国民の理解が必要だ、そのうえで議員に動いてもらうとか、そういうことがないと役所としては動けない」と言われた。
なるほど、ならば同じような悩みを抱えている全国の古い料亭、100年以上経営が続いていて、なおかつ建物も100年以上の料亭と手を組もう、そしてお互いの顧客を紹介し合ったりしながら、しだいに新しい顧客を増やしていけないか、と大島氏は考えた。
そこで大島氏は「百年料亭」という言葉を思いつき、登録商標を取った。そして全国に築100年以上の料亭がいくつあるかを調べ始めた。
ところが、資料がない。料亭の組合も、県単位であればないこともないが、全国組織はない。帝国データバンクでも調べたが、会社名からだけでは、料亭なのか、旅館なのか、そば屋なのか、わからない。
そこで次にパートタイムを1人雇い、全国の電話帳を北から南まで片っ端から調べ、料亭とおぼしきところを調べ出した。それをインターネットで調べると、100年以上の老舗かどうかがなんとかわかった。おおむね3000軒くらいの候補が見つかった。それから、ひたすら電話をかけはじめた。
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