北朝鮮スパイと「陸軍中野学校」を結ぶ点と線

日本は貴重な歴史の教訓に目を向けるべきだ

北朝鮮は陸軍中野学校の戦術を模倣し、今に受け継いでいたのかもしれない(写真:KCNA/新華社/アフロ)

かつて日本が戦争をしていた時代――
 その存在を歴史から消した男たちがいた。
 後世、彼らの功績が語られることはない。

日米開戦前の世界を舞台にした亀梨和也主演の人気スパイ映画『ジョーカー・ゲーム』の幕は、こんな言葉で切って落とされる。この映画は、旧日本軍内に秘密裏に設立された実在のスパイ養成組織「陸軍中野学校」をモデルにしている。

そして、この究極の情報機関である陸軍中野学校を、戦後、北朝鮮の工作機関が手本にしてきたと、作家の佐藤優氏ら内外の多くのインテリジェンスのプロたちが指摘している。歴史的な視点からも、今回のマレーシアの金正男氏の暗殺事件は、日本にとって決してひとごとではない。北朝鮮のスパイ工作を知り、日本がカウンターインテリジェンス(防諜・ぼうちょう)を推し進めるためにも、陸軍中野学校を知ることは重要だ。

陸軍中野学校とは?

旧日本軍は第2次世界大戦開戦直前の1938年、欧米の列強相手に情報戦での立ち遅れが目立ってきたため、陸軍中野学校の前身となる「後方勤務要員養成所」を東京・九段に極秘に設置した。軍内部でさえも、その存在は伏せられた。「陸軍中野学校令」制定により、翌1939年に郊外の中野に校舎を移転。そこで本格的に人材育成を始めたことから「中野学校」と呼ばれた。

外国政府や軍の動静を探る秘密情報要員を養成するため、諜報(ちょうほう)や防諜の訓練を行ったほか、戦局の悪化に伴い、敵地でゲリラ戦を続けるための指導者を育成した。1945年、空襲を避けて群馬県に移転した。敗戦で廃校になるまでの8年間で、約2500人が卒業した。太平洋戦争が終わった後もフィリピンのジャングルに潜み、戦後30年近く経ってから生還した元日本兵の故小野田寛郎(おのだ ひろお)氏も陸軍中野学校の出身者として知られている。 

元公安調査庁調査第二部部長の菅沼光弘氏は7日、筆者の取材に対し、中野学校では「残置諜者(ざんちちょうじゃ)」という情報任務を命じられていたため、小野田氏も上官の命令が下りるまで潜伏していたと話した。

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