まず、新年早々バレる二流の特徴が、初詣での他力本願ぶり、言い換えれば「行動計画の欠如」である。
初詣で「何を願い」ましたか?
「金持ちになれますように」「就活がうまくいきますように」「恋人といつまでも幸せになれますように」「志望校に入れますように」うんぬんかんぬん。
年に1回、神様の賽銭箱に100円、恐ろしいケースでは5円を投げつけ、驚くほど他力本願の願いごとばかりをする人たちがいる。そういう人に限って、5円しか出さないことを「ご縁がありますように」などと正当化するありさまだ。
私は何も、初詣で願いごとをすること自体に文句を言っているわけではない。私が問題視しているのは、単に願うだけで何の行動計画もない、私のような人たちである。
年始にお寺なり神社に行って、景気のいいことを願うのは伝統文化であり、それだけで一流、二流と言われるのは心外かもしれない。
しかし、初詣での願いごとが「努力の伴わない他力本願ばかりの人」は、何の努力もせずに幸運がコロコロ転がり込んでくるのを待っているあいだに、「今年もそのまま二流」で終わってしまうであろう。
次にバレるのが、年賀状などの季節のあいさつに表れる、日頃の感謝を忘れた「恩知らず」っぷりである。
もちろん、お店や取引先から送られてくる何の心もこもっていない、出した本人すら出したことに気づいていない「二流の年賀状」に、返信は無用であろう。
しかし、日ごろお世話になっているトップ10の人への新年のあいさつもせず、おまけにせっかくもらった年賀状を返しすらしない人は、新年早々、二流に転落していると思っていただいて差し支えない。
二流の人ほど、予想外に自分より目上にあたる人から先に年賀のあいさつをもらったりすると、あまりの気まずさに「年賀状制度」の撤廃を心から願ってしまうものである。
しかし、いくらあなたが「年賀状なんて、もらったほうも返事が面倒で迷惑だし」などと自己正当化しようが、年始のあいさつひとつに、あなたの横着な無礼さはあらわれてしまう。
1日の始まりの「あいさつ」にその人の人格があらわれるように、1年の最初のあいさつで、あなたの人間関係に対する姿勢が驚くほどバレてしまうものである。
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