山口絵理子が探し続ける「輝ける場所」とは? マザーハウスが起こしたモノづくりの奇跡
起業当初は、新しい物を作るのは、単純に楽しい挑戦だった。心のどこかで「どうせ売れないだろう」と思っていたからだ。しかし、少しずつ、お客様が新作を楽しみに、期待してくれるようになった。とてもうれしいことだったが、そんな気持ちになれなくなったのは、「ソラモヨウ」というシリーズの大ヒットからだった。そのシーズンは、前年比で150パーセントアップという、驚異的な結果を出し、「ソラモヨウ」は売り上げトップを独走していた。しかし、本来ならば大喜びなのに、お店からの日報を見ることが苦しい作業になった。
次のシーズンでは空振り。さらに次も空振り。もうだめだと思い、ヨーロッパへ放浪の旅に出たこともあった。自分のせいで、会社の足を引っ張っている気分になり、「モノが作れない私なんて、何の役にも立たない」と思えた。
それでも「また作ろう」と思えたのは、お店に立てば、お客さんの笑顔がそこにあったからだ。
「また笑顔を作りたい」
そんな素直な気持ちが、少しずつよみがえってきた。そして、2015年の秋冬のシーズン。「ヨゾラ」という新作で、久しぶりのヒットを生むことができた。
挑戦は続く
2008年、私はネパール、カトマンズに行った。
『裸でも生きる2 Keep Walking 私は歩き続ける』に詳しく書かれているが、バングラデシュとはまったく異なる国民性と、流れる時間の早さ、お祭りを重んじるライフスタイルなど、面食らってジタバタしながらも、ようやくネパールが誇る「シルク」「カシミア」といった素材に焦点をしぼり、ストールの生産を続けている。
現在ネパールでは、蚕からの育成に乗り出そうとしている。こんなふうに、バングラデシュとネパールの生産地、日本の販売組織、デザインと、紆余曲折がありながらも、私の挑戦は世界を舞台に続いている。
そして販売地も2016年12月には、日本、台湾、香港と、28店舗になった。
10年、続けてこられたのは仲間がいてくれたことと、お客様が支えてくれたからだ。一人だったら経営もデザインもとっくにやめている、と自信を持って言える。
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