山口絵理子が探し続ける「輝ける場所」とは? マザーハウスが起こしたモノづくりの奇跡
1日1日は、まるでドラマの中にいるようで、あっという間に過ぎ去っていった。
“軌道に乗った”とまで言えるかどうかわからないが、それぞれの国にリーダーがいて、みんなが役割を全うしてくれている。
私は、たまに日本に帰ったときに思うことがあった。
「みんな、私がいてもいなくても、ぐんぐん成長している」
ある日、日本の事務所にある、私の机やいすが、肩身が狭そうに見えたとき、ふと思った。
「“途上国から世界に通用するブランドをつくる”ために、私自身がやらなきゃいけないことは、何だろう?」
会社が大きくなるにつれて、代表取締役は「管理」の仕事が多くなるのが常だ。ハンコを押したり、人事を考えたり、面接や店舗展開など、やらなければならないことは山ほどある。
でも、私はいつも、“私じゃないといけないこと”を探しているように思う。
幸いにも管理の仕事は、私以上に適任者が何人もいる。副社長の山崎から、「いきなり帰ってきてプロセスを乱されたら、たまったもんじゃない!」と言われたこともあった。
そんな中、私は決意した。
「世界は広いんだ。私は外に出よう。“途上国から世界に通用するブランドをつくる”を体現するのは私なんだ。新しい場所でもう一度、0から1を作りあげよう」
0を1にする仕事を心から愛している
起業して10年、改めて新しい世界の扉を開けたいと思った背景には、こんな思いがあったのだった。
私は、0を1にする仕事を心から愛している。そして、世界から見たら「端っこ」に生きている人たちでも、たくさんの可能性があることを証明したい。そこにしかない技術や素材、そして職人さんたちと、最高のモノ作りを通じて、“途上国”という貧しいイメージを払拭していきたい。それが私自身のライフワーク。10年経っても、起業した当時の気持ちと1ミリもぶれることはなかった。
「私自身がやりたいことは、事務所やパソコンの前にはない。現場に行くんだ!」
そんな、10年目にして、新しい挑戦をしたい気持ちでうずうずしていたとき、なんとも不思議な出会いと巡り合わせから、その挑戦ははじまったのだった。
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