4番打者の野村に対し、57年までは外角中心の配球をする相手が多かったものの、58年以降は内角を突くボールが増えていた。実際、野村は「強気に攻めてくるな」と感じていた。それを数値に置き換えることで客観視でき、あらためて事実に気づくことができた。そうして生まれたのが「データ」という概念だ。当時は「データ」という言葉はなく、「傾向」と呼ばれていたという。
「このカウントでは、インコースに投げてくることは100%ないという状況がある。野球は相対関係でできているから。外角に対しての内角。高めと低め。速い、遅い。そういう組み合わせでできている。たとえば、内角を意識させれば、外角を広く使える。今では当たり前になっているけど、当時は誰もそんなことは言っていなかった。精神野球の時代で、気合いだ、根性だ、ばかりだった。でも、データで考えられるようになってから、急に野球が面白くなった」
長嶋茂雄や王貞治のように圧倒的な力を持つ者なら、自分を中心に考えることが好パフォーマンスへの最短距離になるだろう。しかし、野村のように持てる才能が限られている者は、相手との力関係で上回る創意工夫が必要だ。
技術力だけでは限界がある
現役引退後、野村が率いたチームはいわゆる“弱小球団”ばかりだった。相手より戦力が劣る中、どうすれば打ち負かすことができるか。野村は現役時代同様、頭をフル回転させた。
「バッティングでもピッチングでも、技術力には限界がある。わかりやすく言えば、80年の歴史があるプロ野球では4割を打った人が1人もいない。よく打っても3割。7割は凡打。そういう中で少しでも確率を上げていくためには、技術力だけでは難しい。プラスアルファをどう出していくか。技術力プラス、何かを出していく。これが僕の基本的な取り組み方です。ましてや南海を皮切りにヤクルト、阪神、楽天と最下位のチームばかりやらされてきましたから。そうすると選手も同じで、弱者が勝者になろうと思ったら、強者と同じことをやっていたら絶対に勝てない。当たり前のところから発想していくわけです」
押してダメなら、引いてみる。きっかけをつかめなければ、たどり着きたい結論を見据えて逆算する。商品が売れなければ、消費者の立場に立ち返る。
そうやって頭を使えば、凡才だって本当の頂点に到達できる。野村の野球人生はそう教えている。
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