ノムさんの人生が示す、「一流」と「二流」の差

妥協、限定、満足は禁句

当時、球界を代表する長距離砲に中西太、山内一弘という2人の右打者がいた。前者は1953年から4年連続で本塁打王に、後者は1954年から2年連続で打点王に輝いている。野村は打撃フォームを摸索するうえで、2人を参考にした。

「山内さんは3つ上で、中西さんは2つ上。田舎から出てきて、2人のバッティングを見てびっくりした。すごいなと思ったね。自分が2軍でコツコツやっているときに、イメージ法というのを聞いた。その人になりきる、というやり方です。まずはマネから入る。そのマネに自分流を付け加えて、自分の形を作っていく。そういう上達法は誰でも同じだと思う」

どちらの師匠をマネるべきか?

茶道や武道の世界に、「守破離」という「師匠と弟子の関係」がある。野村の方法論はこの「守」と「破」の段階に似ている。「守」で師匠に言われた形を習得し、第2段階の「破」で、師匠直伝の形を自分に適したスタイルへ昇華させていくのだ。

中西はマスコットバットほどに重いバットを使い、すり足のフォームで93kgの体をボールにぶつけるようにしてパワーを伝え、飛距離を出した。それを見た野村は「重いバットを使わなければ、ボールは飛ばない」と考え、中西流を試した。しかし、思うようにいかない。そこで山内流に切り替えた。山内は左足を上げるフォームで、広角に打ち分けるうまさがあった。野村には山内流が合っていた。

練習で手応えを感じるようになった野村は、「寝るのが惜しかった」という。「寝ると、忘れるような気がした」のだ。その就寝前の段階に、野村の工夫があった。

現在でこそ練習を動画やデジカメで撮影し、確認しながら自分のフォームを探るのは一般的になったが、野村の現役時はまだビデオカメラもない時代だった。そこで、野村は“エアビデオ”を開発する。宿舎で同部屋になった選手の前でバットを振り、グリップの位置、スタンスの広さ、バットの軌道を目に焼き付けるように頼んだ。自分で確認できないため、同僚にフォームのブレがないかどうか、寝る前にチェックしてもらっていたのだ。「選手は自分の感覚だけでやっていたような時代」に、野村は自身を客観視するすべを持っていた。

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