大阪市立桜宮高校の自殺事件で、学校教育における体罰のあり方が問い直されている。個人的には暴力犯罪としか思えないが、驚かされるのは、肯定的な声が少なからず存在することだ。「教育の一環」「愛の鞭」「必要悪」などが理由に挙げられているものの、到底納得できない。「教師=大人」が「生徒=子ども」と主従関係を一方的に築き、体罰で地位の違いを知らしめながら、上意下達で押し付けているようにしか見えない。
体罰教師たちに聞いてほしい話がある。滋賀県立北大津高校で保健体育の教諭を務め、野球部を率いる宮崎裕也監督の指導法だ。「学力が高くないから、どうしてもヤンチャ坊主が集まる」という同校の野球部を1994年から率いる宮崎は、84年に創立した無名校を春夏合わせて6度甲子園に出場させた実績を持つ。
現在51歳の指揮官は、大人が高校生を指導する意味についてこう話している。
「スクイズや盗塁のサインを出すだけが、監督の役割ではない。高校生だから気持ちが折れかけたり、弱気になりかける選手もいる。そんなときに監督の自分が、どれだけそのケツをベンチでボーンとたたけるか。自分がどっしりして、メンタル面でどれだけ支えられるか。それが監督の仕事であり、ベンチの中に大人が必要な理由だと思う」
一生懸命しているヤツのそばにいたい
宮崎は滋賀県の名門・比叡山高校の3年時夏に外野手として甲子園へ出場し、ベスト8に進出した。中京大学時代は捕手を務め、3年秋の全国大会ではベスト4に進出したこともある。「高校の監督になれば、60歳まで野球を続けられる」と教職を取得した。
しかし、91年に赴任した北大津高校の野球部を見て、幻滅する。土のグラウンドにはヒザの高さまで雑草が生えているような状態で、選手たちは和気あいあいと練習していた。「こういうチームに自分が携わったら、選手の邪魔になるやろうな」。そう感じた宮崎は、アーチェリー部の顧問に就任した。同部は全国有数の強豪で、オリンピックに出場した卒業生もいるほどだった。
「野球が好きやから野球部の顧問になるのではなく、一生懸命しているヤツのそばにいることが好き。一生懸命さえしとったら、アーチェリーでも卓球でもバスケでもテニスでも、何でもいいわけです。自分が役に立てるのであればね」
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