ここでそのことについて深く掘り下げることはできませんが、一つはっきりしていることがあります。この副校長の発言が、障害の有無にかかわらず、お互いの人格と個性を尊重し、多様なあり方を相互に認め合うという“共生する社会”の理念からかけ離れていることです。
障害者教育に熱心な地域や学校、教員の居るところほどその様な虐待がないどころか、健常者と障害者の多様な繋がりや支え合う関係が健常者教育にも非常にプラスになっているという報告がありました。まさか教育のプロが、このようなことを知らないわけがありません。
私が綺麗ごとを言っているというおしかりの視線を方々から感じる思いです。しかし私も社会的マイノリティとして生まれ、さまざまな弱者としての資格を持って生きてきた者です。不幸中の幸いにも、たまき様がここで訴えてくださった生徒さんのような恐怖体験はありませんでしたが、不愉快なことを数限りなく体験させられた者として、このような無知な大人や教育者を憎む気持ちは人一倍強いのです。
社会的弱者への差別や虐待・体罰は、どんな事情や理屈をつけても許せるものではありません。
障害者を虐待する人々が、先生扱いされる現実
ある段ボール加工会社は知的障害者を多く雇用することで表彰されましたが、実態は給料未払いで殴る蹴る、食事を与えないなどの虐待が行われていたことが判明しました(水戸事件)。
たまき様の訴えておられる教育委員会の人の、「強い体罰が、知的障害者には合っているから、これからも推奨していく」という考え方と軸は同じです。人間的な判断力という意味では、どちらが健常者なのか、疑いたくなる行為なのです。
サーカス団の動物の調教師でさえムチだけでは調教できないはずです。このような人たちが「センセイ」とか「シャチョウ」と呼ばれる社会の異常を感じます。この人たちこそ隔離して、自分たちの尺度で計る異質者がいない、自分たちだけの“快適な”社会で生きていってもらいたいくらいです。私にはそれこそ異常な社会に見えます。
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