貧困を脱した35歳女性が絶対に伝えたいこと 「IT業界では、学歴は関係ない!」

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「母は統合失調症でした。私が小学校に上がった頃から幻聴や被害妄想の症状が出て、外に対しても“監視しているのか”と、異常なことを日常的に言い放つようになって、小学校では私に対するイジメが始まりました。母親は平気でクラスメートに対して“あんたのお母さん人殺しだから”とか叫ぶ。ヤバイです。当然、いじめられる。小学校6年のときには、もう学校に行けなくなりました。不登校です」

母親公認で小学校を不登校

母親は不登校を心配する担任が訪ねると、鬼のような目をして「人殺し!」と追い返した。娘を守るという大義名分で、母親公認で小学校へ行かなくなった。母親はパートも解雇になった。不登校の小学生、無職の母親、認知症の祖母の3人家族が狭いアパートに閉じこもる生活が10カ月間ほど続き、小学校卒業間際、平田さんは突然やって来た児童相談所に保護された。

「母親は警察と役所の人に捕まって精神病院に強制入院になって、私は児童相談所の一時保護、祖母は特養老人ホームに措置入所になりました。母親は何も頼るものがなかったのでしょう。当時、今の私と変わらない年齢で、そういう状態の親と子供を抱えたら、その負担感は想像もつかない。結局、私は児童相談所から児童養護施設に送られて、そこで暮らすようになりました」

児童養護施設は都道府県に590施設あり、乳児から18歳までの2万7468人の児童が入所する(2014年厚生労働省調べ)。平田さんは大舎制と呼ばれる50人近くがいる大規模施設に入り、同じような境遇の子供たちとの共同生活となった。

「中学校は休まずに通学しましたけど、もちろん普通の家庭みたいな自由はないです。親がいなかったり、虐待された子供が集まるので、非行に走る子がすごく多い。私は非行には走らなかったけど、ひねくれていました。起床時間、消灯時間、あと、この時間は必ず勉強とか規則がたくさんあって、反発して施設を抜けだしたり、万引きしたり、学校や施設で先生とトラブルを起こす子供は本当にたくさんいた」

小学校6年生で家族がいなくなり、頼れる親族は誰もいなくなった。平田さんは生涯孤独な身、ということを自覚した。施設では「みんなのお父さん、お母さんになる!」と熱く接する職員はたくさんいたが、「他人なのに、家族になんかなれるわけがない。施設の先生たちは自分の自己実現のために、私たちを利用しているだけ」と、心はつねにさめていた。

「若い職員さんは熱血的な人が多かった。今でいう意識高い系ですね。全然救えないです。子供と真っ向からぶつかり合うとして、結局、子供に殴られて大泣きして辞めるとか。当時、鬱憤を勉強で晴らしていたので、成績だけはよかった。施設に行くような子って、半分くらいが公立高校には学力的に進学できないのです。なぜか私だけは特例で、私立高校に行かせてもらった。施設が期待した公立のトップ高校に行きたくない、熱い人たちの期待に応えたくないという理由で、公立高校はわざと落ちました」

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