「退所のときは10万円くらい持たされて、身ひとつで出されます。高校卒業して就職までいける子は一握りで、結局、高校に行っても半分くらい中退しちゃう。それで施設を出てそのままフリーターです。生活できないです。本当にみんな経済的には苦しんでいる。そういう現実が小学生のとき、施設に保護されたときに見えたので、私はさっさと自分でおカネ稼げるようになるしかない、ってずっと思っていました」
高校2年の夏、母親が退院した。また一緒に暮らそうという申し出があって、施設を出たかった彼女はそれに乗った。退所したら学費と生活費は自分で払わないといけない。ダブルワークの長時間労働をして月12万円ほどの収入があった。月5万円程度の学費は、自分で払うと決めた。
寝ていたら、母親の彼氏に……
「母親もアルバイトを始めて、私は3万円を家賃として渡した。そしたら母親はどこかで知り合った男のところに行っちゃって、帰ってこなくなって。しばらくして母親に男の家に呼ばれて、新しいお父さんみたいな感じで紹介された。夜、その男の家に母親と泊まったとき、男が私を触ってくる。胸とか太腿とか、いろいろ。恐ろしくなって絶叫して逃げだしました。隣に寝ていた母親は、見て見ぬふりしていました」
独りで暮らしながら高校へ行き、深夜近くまでアルバイトをした。次は不動産屋がやって来て「家賃未納、すぐに出て行ってほしい」と通告された。毎月母親に家賃補助として3万円を渡していたが、4カ月滞納していた。高校3年の春、学費の納付時期も重なって経済的に破綻した。
「高校を辞めざるをえなくなった。そんなときに家までなくなって、もうどうにもならなくて、ただひとつの選択肢として寮付きの風俗店に行きました。渋谷のピンクサロンです。風俗なんて何も知らないし、恐ろしいけど、仕方ないです。あと何カ月かで18歳って店の人に正直に話したら“17歳って誰にも言っちゃいけないよ”という約束で働かせてもらえた。性体験は自暴自棄になったとき、ナンパされた人としたくらい。ほとんど処女みたいな感じです。それしか生きる手段がない、腹をくくって働いて、1週間くらいで慣れました」
ピンクサロンは時給3000円、1日出勤すると1万8000円。寮は渋谷の徒歩圏で月6万円。ずっと続けていたファミレスのバイトを辞めて、寮から週6日出勤した。ピンクサロンは数ある性風俗の中でも客単価が低く、安価で過酷な労働を強いられる。風俗嬢は誰もやりたがらない。昔から彼女のような訳ありの素人女性が多い職種である。
来る日も来る日も夕方以降になると精液を浴び続け、ふと高校を思い出したとき“どうして私だけ……”と虚無感に襲われた。たまに理由なく、涙が流れてくることもあった。月28日ほど、ほとんど休むことなく働き続けて、月50万円以上を稼いだ。18歳の誕生日を迎える頃、100万円以上の貯金があった。部屋を借りて寮を出た。時給1300円のパチンコ屋のアルバイトが見つかったので、ピンクサロンは辞めた。
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