パチンコ屋でも休まずにオープンラストで働く。月30万円以上を稼いだが、アパートと職場の往復だけ、まさに働き詰めの生活。21歳のとき、パチンコ屋の同僚だった18歳年上の男と意気投合した。男も養護施設育ち、お互い寂しいこともあって軽い気持ちで結婚した。
「当時、私はもう人生はあきらめていたので、生い立ちが似たような感じだからってだけで結婚した。もし時間を戻せるんだったら、結婚していないです。一緒に暮らすようになって、相手の借金が発覚して。300万円以上です。貯金はあったので、自分で返済できるくらいまで私が肩代わりして借金を減らした。泣いてお礼を言っていたのにしばらくしたら仕事を辞めて、また借金したのでもうダメだと思って離婚しました」
ITの世界では、学歴は関係なかった
24歳。そしてITの仕事と出合う。ITバブルの絶頂期、たくさんの求人があった。
「テクニカルサポートです。インターネットの接続のサポートですね。これ、勉強したらおカネになるかもって直感した。すぐにノートパソコンを買って、独学でネット系の勉強をしました。ネットサービスとか情報セキュリティとかシステムのコーディングとか。ITバブルで時期的にラッキーで。とにかく人が足りなかったので、何か新しいことを覚えればいくらでもおカネになる時代だったのです」
ITの世界では、学歴は関係なかった。資格も急速な技術の進歩に追いつけず、すべて実力の世界。勉強をして実践しながら、派遣登録して高い時給の仕事に次々と移った。最高額は時給5000円、月収100万円を超えたこともある。そしてITの仕事を始めてから11年、彼女は横浜の一等地に新築マンションを購入し、仕事と趣味と充実した日常を送っている。
「私は自力で生活できる手段を身に付けて、誰かに助けてもらおうと思わなかったってだけ。17歳で家がなくなってから、ずっと仕事をしているけど、別に仕事が好きなわけではない。ただ単価が高くて、選択肢の多い仕事を見つけて、これと思ったときに必死に勉強して働いただけです。アンテナを張っていれば、学歴がなくても、カラダを売る以外の手段で貧困から抜け出す隙間とかチャンスはあるはずですよ」
最後に離れて暮らす母親のことを聞いた。5年ほど前、病院のソーシャルワーカーから「もう一度、お母さんと暮らせませんか?」と連絡がきている。
「結局、精神病院に再入院したようです。事情を話して“それでも私に扶養義務はあるのでしょうか?”と言いました。それっきり連絡はこなくなった。正直、自殺して死んでくれたら、すごくホッとします」
平田さんは生涯誰とも結婚せず、出産もしないことを決めている。身寄りのない孤独な身だ。もしものことを考えると仕事を辞めて誰かを頼るという、専業主婦のような選択はできない。不遇続きだった過去を消してくれたのは、誰にも頼らずに経済的に自立できたこと。ただそれだけだった。
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