「ラーメン」の真実をどれだけ知っていますか 思わず人に話したくなる蘊蓄100章

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61. その一方、80年代の博多には〈怖い・臭い・汚い〉といわれる豚骨ラーメン屋が決して少なくなかった

62. そのイメージを一新すべく1985年、河原成美は女性も入りやすい内装と味で勝負した「博多一風堂」を開店

63. 1989年にカップ麺が袋麺の生産を上回ると、92年には日清が「生タイプ麺」を使用した「ラ王」を発売する

64. 業界ではインスタント麺、カップ麺に次ぐ〈第三のエポックメイキング〉といわれ、市場でも大ヒットする

65. 1994年ビジネスタウンだった新横浜の新名所としてフードテーマパーク「新横浜ラーメン博物館」が開館

66. 1996年、動物系+魚介スープの青山「麺屋武蔵」、中野「青葉」、横浜「くじら軒」などの個性店が続々開業

67. 豚骨ブームの反動ともいわれるが、この頃から日本のラーメンが既存の作りにこだわらない進化を始める

68. 1998年、旭川ラーメンをきっかけに「和歌山」「徳島」など全国の「ご当地ラーメン」が一躍注目を浴びる

69. ラーメンの個性化・細分化が進む2000年、埼玉「ぜんや」大和「中村屋」などハイレベル店がオープン

70. 個性店の第二期ラッシュと同時にハイレベル店の〈切り札〉的存在として「塩ラーメン」がブームになる

71. 塩は調味料自体の風味や旨みがない分、純粋にスープの良し悪しが出てしまうため職人の自信の証とされた

72. 2002年、東池袋「大勝軒」や三田「ラーメン二郎」などののれん分け店が全国に展開しはじめる

73. なかでも大盛り野菜と厚切りチャーシューと特殊な注文で知られる「ラーメン二郎」はマニア的人気を誇る

ファンに呼称がついているのは「二郎」だけ

全国的に認知されるようになった「つけ麺」(写真 :shiga masato / PIXTA)

74. ファンは「ジロリアン」と呼ばれるが、ラーメン店は数あれどファンに呼称がついているのは「二郎」だけ

75. 2004年結成のスリーピースバンド「打首獄門同好会」は『私を二郎に連れてって』という名曲を生んでいる

76. 現在では「ラーメン二郎」に影響された店も多く、それらは「ラーメン二郎インスパイア系」と括られる

77. 2005年、内装にこだわった店舗や「ラーメン・ダイニング」が増加。「鶏白湯(トリパイタン)」が人気に

78. 2007年、「汁なしラーメン」がブームに。東池袋「大勝軒」が閉店し、「つけ麺」が全国的に認知される

79. 同年、前島司の「せたが屋」が、翌08年には河原成美の「博多一風堂」が米国NYに進出し勝負を賭ける

80. NYでのラーメンブームの火付け役は2003年にデイビッド・チャンが開店した「モモフク・ヌードル・バー」

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