「ラーメン」の真実をどれだけ知っていますか 思わず人に話したくなる蘊蓄100章

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41. それをきっかけに札幌ラーメンは全国に名を知られることとなり、〈札幌=味噌〉という方向性が定着する

42. 同55年には中野「大勝軒」にて山岸一雄が「つけ麺」を開発。のちに東池袋「大勝軒」で「もりそば」と命名

43. 1958年、日清の創業者・安藤百福が時間油熱乾燥法を発明しインスタントの「チキンラーメン」を開発

44. 「ラーメン」という呼び名は、この日本初のインスタントラーメンの登場によって定着したといわれている

45. 同年、武蔵境「珍珍亭」が油そばを考案。翌59年福岡ではマルタイ「チキン味棒ラーメン」が発売される

46. 1964年、札幌「華平」の川西寛明がラーメンに「バター」を入れるアイデアを考案

47. 1965年、札幌「熊さん」が東京・大阪高島屋で開催された北海道物産展で味噌ラーメンの実演販売を行う

48. これが大評判となり、全国に「札幌ラーメン」のチェーン店が出現。ご当地ラーメンブームの元祖となる

インスタントラーメンが登場

49. 1966年、サンヨー食品は「サッポロ一番」と命名したインスタントラーメンを発売。当初は醤油と塩の二種

50. 同年、明星が「チャルメラ」を、68年には日清が「出前一丁」を発売する一方「サッポロ一番」に味噌が登場

51. インスタント麺業界では70年代にかけて麺を油で揚げずに冷凍乾燥させる「フリーズドライ製法」が普及

52. この製法によってかやくはもちろんスープも乾燥粉末化され塩・味噌・カレー味など味の種類が広がっていく

53. 同68年、和食の料理人だった山田拓美が目黒・都立大「ラーメン二郎」を開店。のちに三田へと移転する

日清の「カップヌードル」(撮影:今井康一)

54. 1971年、日清は世界初となるカップ麺「カップヌードル」を発売。その容器は耐久・耐熱性に優れていた

55. 当初の売り上げはいまひとつであったが、翌72年に起きた連合赤軍・あさま山荘事件で一躍注目を浴びる

56. 同71年、京都・銀閣寺そばで屋台「天下一品」が開業。74年には横浜「吉村家」が営業をスタートする

57. もともと横浜では明治以降、中華街の流れをくむ醤油やタンメン、サンマー麺が主流であった

58. しかし吉村家の吉村実は交通量の多い国道16号沿いで豚骨醤油+極太麺のボリューミーなラーメンを創出

59. 「家系ラーメン」と呼ばれるその味はトラック運転手などの間で評判を呼び、横浜のご当地ラーメンとなる

60. 80年代、関東では「豚骨ラーメンブーム」が起こり、「九州じゃんがららぁめん」などの人気店が続々進出

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