時代の実況者、古舘伊知郎が走りぬけた12年 政策を批判することは「偏向報道」ではない

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キャスターにも「芸風」というものがある。キャスターとしての資質云々ではなく、その人物が核とする思考や表現のスタイルのようなものだ。そこには彼らがキャスターの座につくまでのメディアとの関わり方が濃くにじみ出るように思う。たとえば新聞記者(筑紫哲也)、テレビディレクター(田原総一朗)、ラジオパーソナリティ(久米宏)。そして古舘の原点がテレビ実況者であることは言うまでもないだろう。

社会の実況という「芸風」

一般的に、実況者はその場の状況をただ口先で描写しているだけと思われがちだが、実況とはそんな生易しいものではない。卓抜な実況者には、伝える対象についての膨大な知識と、刻々と展開する現実のどこに着目し、何を切り取るのかを瞬時に判断する凡庸でない視点が求められる。そのうえで初めて、正確かつ豊かにイメージを伝える言葉の力が問われてくるのだ。

古舘がまだ駆け出しアナウンサーで早朝番組のやじうま新聞を読んでいた大昔、私もADとして同じフロアを這いずり回っていた一時がある。その頃から古舘の実況に対する努力は尋常ならざるものがあった。日常の中の風景を常に脳内実況し、手垢にまみれた予定調和を破る言葉を捜し、イメージを喚起する語りを編み出す努力が水面下で続けられていた。

対象がたとえ動かぬものであっても、奔放に視点を動かしながら実況しきってやるという意欲は、後にトークライブで自分の脳のレントゲン写真一枚を肴に2時間半しゃべり倒すという快作も生む。何をどう見て、いかに語るか。「知識」「視点」「言葉」の三点セットの鍛錬は、古舘がさまざまなジャンルの番組をこなしてきた原動力であり、キャスターとしての「芸風」を確立してきた基盤だったといえるだろう。

今でこそ自分の考えを鮮明に打ち出すキャスターだったと見られる古舘だが、彼が報道ステーションを始めた頃、必ずしもそういうイメージはなかったように思う。転機はやはり東日本大震災だっただろうか。被災地、原発、辺野古、安保法案など、さまざまな連鎖の中で生まれていった出来事の現場に、古舘自身が赴くことも多くなった。現場を目の当たりにし、そこで出会った人々の姿に共感を寄せる時、それを伝える古舘の言葉は熱を帯びた。

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