21. 日本政府はこれを受け取り、御前会議を続けた結果、8月14日にポツダム宣言の受諾を決定
22. 翌15日の正午、昭和天皇がラジオの玉音放送で「大東亜戦争終結ノ詔書」を読み上げ日本国民に伝えられた
23. 降伏により、事実上日本は独立国としての主権を失い、統治権は連合国最高司令官の制約の下におかれた
24. 8月30日厚木飛行場に司令官ダグラス・マッカーサーが到着。総司令部(GHQ)が設置された
25. この連合軍による占領統治は原則として日本の既存の統治機構を通じて間接的に統治する方式だった
26. 日本政府は降伏直後から大日本帝国憲法の改正が求められることを予想。ただ緊急課題の認識はなかった
マッカーサーが大日本帝国憲法の改正を示唆した
27. しかし着任約1カ月後の10月4日にマッカーサーは東久邇宮内閣の国務大臣・近衛文麿に憲法改正を示唆
28. 「治安維持法廃止」「政治犯の即時釈放」「天皇制批判の自由化」「思想警察の全廃」など自由の指令を命じる
29. これを実行できないとして翌5日、東久邇宮内閣は総辞職。9日には新しく幣原喜重郎内閣が成立した
30. 近衛は内大臣府御用掛となったが、政治学者の高木八尺、憲法学者の佐々木惣一らと憲法改正の調査を開始
31. 非公式にGHQ政治顧問のジョージ・アチソンとも会談し12項目に及ぶ助言や改正の指示をもらった
32. 近衛らの作業と並行し、内閣では松本烝治国務大臣を委員長とする調査委員会(松本委員会)を設置
33. しかし近衛らの調査は戦争責任や閣外であることなどから批判が高まり、改正作業は松本委員会に一本化
34. 松本委員会は美濃部達吉、清水澄らを顧問に憲法学者の宮沢俊義、河村又介、法制局幹部の入江俊郎等で構成
35. 1946年1月9日の第10回調査会で松本は「憲法改正私案」を提出。宮沢が要綱化し「憲法改正要綱」とした
36. この頃、国民の間でも憲法改正問題の関心が高まり、政党や知識人たちを中心に憲法改正案が発表された
37. 民間が提案する憲法改正案の多くは大日本帝国憲法に若干手を加えた程度のものであった
38. しかし憲法研究会と名乗る民間団体が作成した「憲法草案要綱」は出色で、それにGHQが注目
39. 憲法研究会は、東京大学の経済学者であった高野岩三郎を中心に早稲田大学の杉森孝次郎等で構成
40. なかでも特徴的なのは戦前から左派の憲法史研究を続けていた憲法学者・鈴木安蔵の存在であった
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