01. 日本国憲法とは日本の現行憲法。国家権力の組織や権限・統治の根本となる基本原理・原則を定めた法規範
02. 明治維新によって日本は近世の幕藩体制・封建社会から復古的な天皇制・国民国家として大きく転換した
明治政府は「大日本帝国憲法」
03. 1889年、明治政府は「大日本帝国憲法」を制定し、諸外国に並ぶ近代市民国家として歩みをはじめる
04. 大日本帝国憲法には神権的な天皇制と古典的な自由主義、民主主義理念が共存し統治権は天皇にあるとした
05. しかし国民の権利は認められ議会政治が開始。大正時代には政党内閣制や普通選挙(男子のみ)も行われた
06. 1930年イギリスで行われたロンドン海事軍縮会議の締結の際、当時の濱口内閣は海軍を無視し強硬に対応
07. 激怒した軍部は憲法第11条に定められた天皇の陸海軍の統帥権を引用し、統帥権干犯問題に発展してしまう
08. この事件をきっかけに政党内閣を信用しなくなった軍部は、天皇の統帥権を主張することで暴走をはじめる
09. 1937年には盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が勃発。1941年には太平洋戦争(大東亜戦争)に突入していく
10. 日本では戦時下において国民の議会は形骸化し、軍部主導の国家運営が行われていた
11. 1945年7月、米・英・ソ連の三国首脳は第二次世界大戦の戦後処理について協議するためドイツで会談
12. ベルリン郊外のポツダムで三者は日本に降伏の機会を与える降伏条件を定め、中華民国の蒋介石も同意
13. このポツダム宣言のなかで、日本の憲法に関しては「軍国主義を排除する」「民主主義の復活強化」
14. また「言論・宗教及び思想の自由ならびに基本的人権の尊重を確立」という3つの条件が出された
15. 当初、日本はこれを黙殺するとしたが、広島・長崎に原爆が投下され、ソ連が対日参戦するにあたり決意
16. 日本は戦争終結を決め、1945年8月10日連合軍にポツダム宣言の受諾を伝達した
17. しかし受諾はするものの、その条件として日本は天皇を中心とする政治体制を維持する国体護持を主張
18. この申し入れに対し連合軍は「降伏時より天皇及び日本国政府の国家統治の権限は連合国最高司令官に従属」
19. また「日本の最終的な統治形態はポツダム宣言に遵い日本国国民の自由に表明する意思により決定」と回答
20. この回答は当時の米国の国務長官ジェームズ・F・バーンズに由来し「バーンズ回答」と呼ばれている
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