「歌舞伎座」の真実をどれだけ知っていますか 大人なら知っておきたい蘊蓄100章

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現在の第五期歌舞伎座(写真:mooncreative / PIXTA)
モノ情報誌のパイオニア『モノ・マガジン』(ワールドフォトプレス社)と東洋経済オンラインのコラボ企画。ちょいと一杯に役立つアレコレソレ。「蘊蓄の箪笥」をお届けしよう。
蘊蓄の箪笥とはひとつのモノとコトのストーリーを100個の引き出しに斬った知識の宝庫。モノ・マガジンで長年続く人気連載だ。今回のテーマは「歌舞伎座」。あっという間に身に付く、これぞ究極の知的な暇つぶし。引き出しを覗いたキミはすっかり教養人だ。
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01. 歌舞伎座とは東京都中央区銀座4-12-15にある歌舞伎専用の常設劇場および企業のこと

02. 「歌舞伎座」は固有名詞だが従来の劇場は地名や座元の名前を冠するのが通例であり特異な名称といわれる

03. 歌舞伎の祖とされる出雲阿国や夫の名古屋三郎が歌舞伎踊りで評判をとったのは慶長年間(1596~1615年)

04. 出雲阿国は京都・四條河原や寺社の境内などで興行を重ね、1607年江戸城に招かれ勧進歌舞伎を披露した

05. 阿国の消息はその後不明とされるが、彼らをまねた遊女や若衆らが各地の河原や寺社の境内で興行を行った

06. 1624年(寛永元年)江戸府内にはじめて常設の芝居小屋「猿若座」(のちの中村座)が誕生する

07. 座元は京都で猿若舞を創始した山城の狂言師・猿若勘三郎(初代中村勘三郎)で中橋南地(京橋)にあった

08. しかし、歌舞伎が江戸町人の娯楽として定着すると江戸府内のあちこちに芝居小屋が乱立

09. 奉行所は風紀を乱すという理由で遊女歌舞伎や若衆歌舞伎を禁止。野郎歌舞伎のみに興行権を認可制とした

10. 芝居小屋は整理され、1670年代までには中村座・市村座・森田座・山村座の四座に限り興行を許された

火事と喧嘩は江戸の華?度重なる焼失も

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11. これを「江戸四座」と呼ぶが、1714年江島生島事件によって座元・山村長太夫が遠島となり山村座が廃座

12. 1841年(天保12年)には失火で中村座が全焼し、その火は日本橋人形町一帯にまで及び市村座も類焼した

13. おりしも江戸幕府では逼迫した財政を立て直すべく老中・水野忠邦を中心に天保の改革を推進していた

14. 町人の贅沢を禁じ風俗を取り締まりたい幕府は、豪奢を理由に七代目市川團十郎に江戸払いの命を下す

15. 全焼した中村座・市村座には再建を禁じ、一方で江戸城から遠く離れた浅草聖天町の丹波園部藩の下屋敷を収公

16. 1842年にはそこを代替地として中村・市村・薩摩(浄瑠璃)・結城(人形劇)の各座に強制移転を命じた

17. 聖天町(浅草6丁目)は遠く辺鄙な土地でそこに芝居関係者を追いやることで城下から悪所を一掃しようとした

18. 逆境にもめげず1842年夏には各芝居小屋が新築。9月には中村座と市村座が聖天町で杮落とし興行を行った

19. 同年冬には木挽町(銀座5丁目)の河原崎座にも移転命令が下るが、河原崎座の浅草移転後に水野忠邦が失脚

20. 一方、浅草聖天町には中村座・市村座・河原崎座の三座が揃い芝居が一層充実。浅草は江戸一番の娯楽地となる

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