世界中から依頼が殺到する建築家の著者は、悩みつつも挑戦し続ける。
──建て替えで話題の歌舞伎座は4月にこけら落とし興行ですね。
その設計をしていて気づいたのは、昔の人が築いたものをうまく使うと、自分一人ではできないことができるようになることだ。20世紀の近代建築以降の建築家は、個人の創造性ばかりが評価されるが、ヘリテージ(遺産)とも「チームワーク」がありうることがわかった。
僕が手掛けているのは歌舞伎座第五期。1889(明治22)年に第一期ができ、二期、三期、四期と、それぞれの建築家がいた。その人たちが積み上げてきたものの上に僕たちがいて、その積み上げてきたものをうまく使って造り上げた。これは、戦後流の見方からすれば過去に縛られているとなるが、そうはいえない。その人たちと一緒にできると考えると、むしろそれは感謝すべきことで、得したという感じがする。
──ただのヘリテージではないわけです。
建築家として歌舞伎界に接したので新鮮に感じたのだけれども、歌舞伎役者は第何代、たとえば十二代市川団十郎として、昔の人たちの遺産をうまく使いながら、いわば過去の人たちとチームで仕事をしている。もともと、こういうことは日本人が得意としていた。
実際、日本の伝統建築は、世界でもトップクラスの質を確保している。積み上げたものの上で仕事をしているから質が維持できるのだ。どんな企業でも町でも、それまでの時間の堆積があるのだから、それを「時間的な借景」にする。昔のものをうまく自分に取り込むことで、自分自身は大したことがないとしても、いろいろなことができるようになる。
──歴史的な建築物の保存だけでなく、ですね。
建築物の保存を時々、手掛ける。たとえばこの3月21日に全館オープンした東京駅前のJPタワー、その低層部は僕たちが手掛けた。JPタワーは外壁や内部の一部を保存したが、歌舞伎座の場合は保存でなく完全に壊して造り直している。その場合でも過去の人たちとのコラボレーションはできるところが面白い。
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