今回はクラシック音楽と、進化するメディアとの関係について考えてみる。
手元に日本グラモフォンから1968年に発売された、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団演奏、ウィーン合唱協会合唱のLPレコードがある。曲目はベートーヴェン作曲の交響曲第9番(第九)。A面に1楽章、2楽章、そして3楽章の前半部分が入っている。B面には3楽章の後半部分と、合唱のある4楽章が入っているレコードだ。
そのジャケットのライナーノーツには、以下のような説明が書いてある。
「《第九交響曲》を30センチ盤一枚におさめたステレオのLPは、かならずしも珍しくありませんが、カラヤンの指揮によるこのグラモフォンのレコードは、音響的に無理の多い《詰め込み》を避けるために、音楽的に無難な楽曲の反復箇所を省略して、LP両面に全曲をゆったりとカッティングした、その点でもきわめて注目されるユニークなLPです」
メディアに合わせて曲を改変
そう。片面30分弱というメディアの制約がある中では、作曲家の意図を無視し、音楽を変えてしまうことは当たり前だった。今になって考えると作曲家に対しずいぶん失礼なようにも感じられるが、指揮者をうまく説得して、レコードにしっかりと詰め込むことが、レコーディングプロデューサーの腕の見せどころだった。
実際、このグラモフォンのレコードは、2楽章の繰り返し指示を無視している。また3楽章が途中で切れている。A面、B面にちょうど半分程度に時間配分するためには仕方がないのだが、3楽章と4楽章の間はアタッカ(休みなくつながる)になっているため、そのつながり感を優先した、という考え方もできる。
曲を改変しようとも、演奏時間が1時間以上に及ぶ(はずの)第九が1枚の円盤に収まっているだけでも大きな進歩だった。かつて主流だったSPレコードは、1枚当たりの収録時間がもっとずっと短く、1つの交響曲を何枚ものレコードに分ける必要があった。それと比べればLPは、比べものにならないほど画期的なものだったのだ。
ベートーヴェンの第九をどのようにすれば、ストレスなく聴くことができるか。この命題は、次なるメディア革命でも大事な役割を果たす。ソニー、フィリップスが共同開発し、82年に市場投入したコンパクトディスク(CD)において、収録時間を74分と決める際に、1つの根拠になったのが「第九を1枚に収める」だった。
「カラヤンの第九を収める」という風に言われることが多いが、74分はカラヤンの演奏する第九の長さではない。ゆったり演奏する指揮者の第九であっても無理なく収められる時間が74分だ(カラヤンの場合、演奏時期にもよるがおよそ65分程度)。
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