宮中の着物には、日本の歴史が息づいている 押さえておくべき日本文化の要諦
新年を迎えた歌舞伎座は、着物姿の観客が普段より多く、一段と華やいで見える。彼らのお目当てのひとつは、夜の演目である「廓文章」だ。
「廓文章」は近松門左衛門の浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡」の「吉田屋」の段が歌舞伎用にアレンジされたもの。そのあらすじは以下の通りだ。
「廓文章」とは?
大店(おおだな)・藤屋の放蕩息子・伊佐衛門は吉田屋の遊女・夕霧にほれ込み、通い詰めたため勘当されてしまう。一文無しになって「紙衣」を着るまでに落ちぶれた伊佐衛門は、それでも夕霧が病気と聞いていたたまれず、吉田屋にやってくる。そんな伊佐衛門を吉田屋の亭主と女将は温かく迎えて座敷に上げたが、夕霧は阿波のお大尽に呼ばれていて、なかなかやってこない。嫉妬のためにいじけたりすねたりする伊佐衛門の演技が面白い。
ようやく夕霧がやってきて、2人が再会の喜びに浸っているところに、藤屋から千両箱が届けられる。夕霧が身請けされ、伊佐衛門の勘当が解けるというハッピーエンドのストーリーだ。まさに新年に相応しいめでたい演目だが、とりわけ夕霧役の坂東玉三郎丈が着用する緋色の打ち掛けが素晴らしい。背に鳳凰、裾に牡丹が縫いとられたその柄は、長身の玉三郎丈だからこそ映えるものだ。それを観客に披露するためにぐっと背をそらせると、客席から大きなどよめきが湧きあがる。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら