現在の日本橋は、何代目?
1. 日本橋は江戸開府とともに1603年(慶長8年)に完成
2. 江戸城の外堀と江戸湾をつなぐために平川(日本橋川)を延長し、ここに木橋を架けた。これが日本橋の起源
3. 1604年には一里塚の基点と定められ、東海道や中山道をはじめとする五街道の起点となった
4. 東海道は日本橋から京都まで126里半。当時の庶民が普通に歩いておよそ12~15日間を要した
5. 江戸湾と城下町を結ぶ水上物流と陸上交通の大動脈が交わる要衝として、日本橋エリアは江戸最大の商店街・問屋街に発展、にぎわいの中心となっていった
6. 当時、日本橋の上からは、北に上野の寛永寺、南に富士山、西に江戸城、東には海を望むことができたという
7. 「日本橋」の名前の由来や命名者は不明。当初2本の丸太を渡しただけだったので「二本橋」と呼ばれた説、朝日が昇るのを望めることから名づけられた説など諸説ある
8. 初代の日本橋の規模は全長28間(約51m)、幅4間2尺(約8m)。ケヤキの木橋だった
9. 日本橋の欄干には擬宝珠(ぎぼし)が配されていた。擬宝珠は橋の格を表す装飾で、江戸城門の橋以外では江戸市中で日本橋、京橋、新橋の3橋だけに見られるものだった
10. 日本橋の西南橋詰には幕府のお触れを公示する高札場が、東南橋詰には罪人の晒し場が置かれていた
11. 今の築地市場の前身である魚河岸は、もとは日本橋のたもとにあった。築地に移転したのは関東大震災後
12. 最大の娯楽だった江戸歌舞伎は中村座の猿若勘三郎が中橋(日本橋と京橋の間)で櫓をあげたことに由来する
13. 江戸三座と呼ばれた芝居小屋のうち中村座と市村座は1842年の浅草移転まで日本橋で200年間の繁栄を築いた
14. 江戸時代初期、吉原は幕府公認の遊郭として今の日本橋人形町に誕生した。葭(よし)の生い茂っていた沼地を埋め立てた土地で「葭原」だったのが「吉原」となったという
15. 木造だった日本橋は江戸時代を通じて明暦大火など火災により8回全焼、2回半焼している
16. 明治5年の木造最後となる日本橋の架け替え時には魚河岸の魚問屋組合が費用を負担したといわれる
17. 日本橋が現在の石造りの橋に架け替えられたのは1911年(明治44年)4月3日
18. 現在の日本橋は20代目
19. 現在の日本橋は全長約49m、幅27.273m
20. 総工費は53万3890円(当時の1万円=約1090万円)
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