宮中の着物には、日本の歴史が息づいている 押さえておくべき日本文化の要諦
宮中の行事にも着物は欠かせない。高橋氏は愛子内親王殿下と秋篠宮家の眞子内親王殿下、佳子内親王殿下の御地赤(おじあか)も作っている。
「御地赤とは内親王殿下が成人されるまで、元旦に新年の挨拶のために参内される時などに着用される特別の赤い着物のことです。2004年に女官を通じて美智子さまからご連絡をいただき、愛子さまの御地赤をお作りしました。同時に宮内庁からの依頼で、秋篠宮家の眞子さまと佳子さまの2枚目の御地赤もお作りすることになったのです」
御地赤に込められた皇后陛下の思い
内親王殿下が御地赤を着用された写真は公式には公開されていないが、「銀座きものギャラリー泰三」で特別に見ることができた。
「愛子様の御地赤は、背にゴヨウツツジと松竹梅の紋が金糸で縫いとられています。ゴヨウツツジは愛子様のお印です。そして身ごろや袖には鳳凰が飛び交う刺繍がこれも金糸で施されており、シンプルですが非常に格調高いものになっています」
作成の際には皇后陛下から丁寧な指示があり、その意向が反映されたという。
「眞子様と佳子様の御地赤は、背に松竹梅の紋が入っていますが、お印は入っていません。身ごろや袖には鶴が飛び交っています。これもとても格調高いものです」
鳳凰は最高の鳥で、中国では皇后の象徴とされる。鶴も亀と並んで長寿の象徴とされた上、江戸時代には禁鳥とされ、一般に捕獲することは許されなかった。将軍が鷹狩りで鶴を獲ることは「鶴御成」と言われ、朝廷に献上されていた。
内廷の内親王、宮家の内親王という身位による格差はあるが、いずれの御地赤にも孫娘たちの健やかな成長を祈る皇后陛下の思いが偲ばれる。
「このように、宮中には古来から伝わってきた着物文化が息づいているのです。ところが明治に入り、宮中祭祀や即位の礼などを除いて洋装が公式のものとされてしまいました。国際プロトコールは西洋式によるべきものが多いのは事実ですが、それでも鎌倉中期に始まったとされる歌会始などは、ローブ・モンタントよりも着物の方がふさわしいのではないでしょうか。女性皇族の方々には、もっと着物をお召しいただきたいですね」
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