41. 政府案がまとまらないなか、2月1日の毎日新聞に松本委員会案なるものがスクープ掲載される
42. これは宮沢が提出した草案で松本委員会では比較的リベラルなものであったが、政府はスクープ記事を否定
43. 記事を慎重に分析したGHQのホイットニー民政局長は、それが政府による真の松本案であると判定する
44. その内容からGHQは、日本政府に任せていてはソ連やオーストラはリアから天皇制廃止を要求されると判断
45. GHQはホイットニー民政局長ら25人のメンバーを招集し、独自の憲法改正草案を作成することを決める
46. 25人のメンバーのなかには4人の弁護士もいたが、憲法学を専攻したものは皆無であった
47. そこでホイットニーは憲法研究会が作成した「憲法草案要綱」と世界の憲法を参考に全92条の草案を作成
48. それをマッカーサーに提出し、2月13日には「マッカーサー草案」として日本政府に提出された
49. ところが日本政府側(松本国務大臣、吉田茂外務大臣)はこの草案が用意されていたことを知らなかった
50. 2月8日に提出した「憲法改正要綱」(松本試案)の回答としていきなりGHQから手渡される形となった
51. 「天皇は国家の元首の地位にある」「国権の発動たる戦争は廃止する」「日本の封建制度は廃止される」
52. マッカーサー草案ではこの三原則が明確に指示されていた
53. 日本政府は2月26日の閣議で、マッカーサー草案に基づく改正案の起草作業を決定
3人で極秘に日本政府案を執筆
54. 松本国務大臣は法務局の佐藤達雄を助手に、入江俊郎を次長とし、3人で極秘に日本政府案を執筆した
55. わずか一週間の時間もない3月2日に完成。4日にはホイットニーに提出され、5日にGHQチェックが終了
56. 3月6日には幣原首相と松本国務長官が宮中に参内し、天皇に「憲法改正草案要綱」を奏上した
57. 日本国民には翌7日の新聞各紙で発表された。その内容は急進的であったが、世論はおおむね好評であった
58. 3月26日国語学者の安藤正次が法令の書き方について意見書を提出。これを機に口語化へと動き出す
59. 4月10日の衆議院選挙後、政府は憲法改正草案を枢密院に諮詢。衆議院・貴族院の審議を経る
60. 若干の修正を経た「修正帝国憲法改正案」は、10月29日天皇によって裁可された
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