独り勝ち・『ゼクシィ』商法の光と影 今や強者の驕りも垣間見え…

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最後までゼクシィへの広告を拒否していたホテル各社も、しだいに「ゼクシィに広告を出さねば客は来ない」との印象を持つようになる。結局ゼクシィの営業はホテルの広告も取り始めた。ホテルへ出向けば、必ず「同格の他社さんはどうですか」と、ライバルの動向が気になるもの。あるホテルの広告を一度獲得できれば、「あそこのホテルが広告を出しますよ」というセールストークで、芋づる式に次々決まっていった。いかに当時のゼクシィ営業部隊が優秀だったかわかる。

無理もない。旧来の結婚産業といえば、各地、ローカルでそれぞれすみ分けていた。外のノウハウを持つ企業が参入するとは夢にも思わなかったようだ。リクルートの戦略に対する免疫はなかった。

と同時に、結婚式のスタイルが劇的に変化する。

それ以前のバブル期にあった大量生産型の結婚式は、ホテルや結婚式場の都合優先による婚礼プランを、すべての客に押し付けていた。客の自由などまったく聞き入れない会場側主体の商品である。どれも進行がまったく同じで、招待された者が「面白くないしもう飽きた」と思うような披露宴になってしまった。そんな時に欧米型の庭付き邸宅を建て、そこを結婚するカップルの自宅に見立てて、貸し切り利用できるスタイルが提案された。それが「ゲストハウス・ウエディング」だ。

日本では97年、立川市(東京)に開業したルーデンス立川ウェディングビレッジが、ハウスウエディングの第1号である。まったく知名度のなかったルーデンス立川が、初年度350組、2年目680組、3年目711組と、ブライダル史を塗り替える大ヒットの施設となった。当時の立川といえばモノレールができる前で、ルーデンス立川へはタクシーでしか行けないという立地だったにもかかわらずだ。ちなみに通常のホテルなら、1宴会場で年100組を扱えば繁盛とされる。

ハウスウエディングは10年間で全国へ瞬く間に広がった。そして当初はブライダル業界とゼクシィの共栄共存が成り立っていた。

 

 

 

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