「いい大学に入るため」「いい会社に就職するため」もその一部には当たるかもしれませんが、本質的ではありません。
「お小遣いの管理ができるようになるよ」「お菓子作りのときに分量を計算できるよ」といった日常とのつながりも悪くありませんが、子どもは別にそんなの計算機でやればいいし、と言ってくる可能性もあります。
社会であれば、「ニュースで言っていることがわかるようになるよ」「旅行に行ったときに歴史を知っているともっと楽しいよ」といったことも、子どもは別にニュース関心ないし、歴史も興味ないと言ってしまえばおしまいです。
勉強の意味を、子ども自身の人生や興味とつなげて示すことで、学びは「やらされるもの」から「自分のためのもの」へと変わっていくと言われていますが、これも教育的教科書の典型文ですが、間違ってはいませんが、現実的ではありません。
では、どうすればいいでしょうか。
「勉強の意味は?」と聞かれたら、次のように答えると子どもは反論できません。
それは「もし勉強に意味がなかったら、150年以上も、世界中で同じような勉強をするわけがないよね。とっくに勉強は絶滅しているはず。なのに、今も同じようなことをやっているということは意味が何かあるからじゃないの?」
これだけです。意味の内容は答えません。具体的に答えれば答えるほど、反論がくるだけです。その後、子どもの心にこのメッセージがずっと残り、それを探求するために、勉強をするようになるわけです。
心を動かす教育への転換
子どもの心を動かすことは、決して難しいことではありません。しかし、それは熱意や脅迫といった外からの圧力ではなく、子どもの内側にある「学びたいという本質的な欲求」を引き出すことによって実現します。
小さな成功体験を積み重ねること、プロセスを“漠然と”認めること、知的好奇心を刺激すること、自己決定の機会を与えること、学びの意味を実感させること。
これらの要素の一つでもヒットすれば、子どもの心は自然と動き始めます。そして一度動き始めた心は、外からの働きかけがなくても、自ら学び続ける力を持つようになるのです。物理的な慣性の法則が心にも働くからです。
「子どもの心はどうすれば動くのか?」
このシンプルな問いに向き合い続けることこそが、真の教育の出発点なのです。
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