「真珠湾攻撃」の成功で一夜にして英雄となるも…山本五十六が南方の最前線で迎えた"壮絶すぎる最期"
米軍の長官ニミッツは山本を殺害することをワシントンに問い合わせている。最高司令長官を殺すことが政治問題に発展しないか、危惧したためだ。この問い合わせにルーズベルトは「GO!」を出した。
墜落してなおも生きていた五十六
五十六が乗った戦闘機がブーゲンビル島の上空に達した。その時、すでに米陸軍のPライトニング戦闘機16機が待ち構えていた。このうち4機が攻撃を仕掛ける戦闘機で、残りが護衛用である。
アメリカは秒刻みで五十六が乗っている搭乗機の動きを分析していた。陸上とは違い、上空では5分以上待ち続けることはできない。燃料が切れてしまうからだ。
米軍の戦闘機が五十六を捕捉すると、激しい銃撃を加えた。その間4分ほど、五十六の乗った搭乗機はなす術もなく、ブーゲンビル島のジャングルに墜落していった。
五十六は体には撃ち抜かれた箇所が2つあったという。そして、最後まで日本軍人の命である軍刀を離さなかった。
しかし、話はここで終わらない。墜落後も五十六は生きていたという。
椅子に座ったまま放り出され、まるで普通に椅子に座っているかのように、たたずんでいた。軍刀をしっかり握り、まだ息絶えていない周りの乗組員たちに、「生きているか!」「死ぬな!」と声をかけ続けたという。そして、朽ち果てていった。
ブーゲンビル島のジャングルに捜索に行った兵士たちは、軍刀を握り、椅子にしっかり座った山本閣下に、思わず手を合わせたという。
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