「真珠湾攻撃」の成功で一夜にして英雄となるも…山本五十六が南方の最前線で迎えた"壮絶すぎる最期"

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忙しい時に、オリンピックが気になってテレビを見てしまって、ぼろ負けした日本選手を見て、「やられた」「だまされた」と思うが、それぐらいの罪で終わる。それより、盛り上げてくれて、勝った時の喜びを思えば、まあ、許せるだろう。

しかし、戦争は違う。生死が伴う。確かに、兵力が拮抗している時に、兵士の戦意を高揚させ、勝たせるということはあるだろう。

あるいは、アメリカのように、物量共に世界一であるにもかかわらず、国民に厭戦気分があり、戦争に突入できない時、「リメンバー・パールハーバー」と叫んで、戦意を高揚させることもある。

これ自体、決して正しいとは言えないし、仕掛けられたものだから許せないが、全くの噓ではない。

「失敗に対する免疫」のない日本人

だが、日本の大本営は違った。真珠湾は勝利したが、その後は、ミッドウェー以降日本はほとんど負けている。負けているにもかかわらず大本営は勝利をうたった。

このことを最も嫌がったのは山本五十六であろう。真珠湾以降、五十六は戦地にいたから、日本国内の状況は聞いていただろうが、はっきりとわかっていなかっただろうし、戦地にいたら、日本内地の報道を正すことはできない。

日本人は、失敗に免疫力がない国民なのかもしれない。欧米人や中国人は、負けたら、「なにちくしょー」と、「リメンバー・パールハーバー」と、勝つために知恵を絞って、徹底的に負けた原因を分析し、勝つための道筋を見つけようとする。

しかし、日本人には、それができない。いや、その能力を権力に封じ込められているのかもしれない。いいことばかり言う、権力者やメディアに飼いならされているのかもしれない。

明治維新以降、日本は中央集権化を進めてきた。そのため、日本人のアイデンティティを強く訴えてきた。そして、中央集権の象徴である天皇の神聖化を進めてしまった。

それ自体は間違っていない。しかし、それへの批判も封じ込めてしまったのだ。批判する者は徹底的に排除し弾圧してきた。中央集権化の過程では仕方なかったかもしれないが、日本が発展していく過程で、批判し、批判され、強くなっていく能力を日本人は身につけるべきであった。

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