3.11被災地での約束から始まった第二の人生ーー日本で突然「クビ宣告」を受けたチリ人が、東京の片隅で《モヒカン姿のシェフ》になるまで

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気がつけば納豆が大好きになるほど日本になじみ、「はじめは40歳で帰るつもりだったけど、いろいろ新しいチャレンジが出てきたから」と日本に住み続けた。レストランの開業もそんなチャレンジのひとつだ。

「中野、私好きよ」

日本に住むチリ人は総数1183人(2024年6月)と、400万人近くまで増えた在日外国人の中ではきわめて少数派だ。

「留学生、会社員、大学で教えてる人もいるし、ITエンジニアも多いし、ワーキングホリデーで来てる若い人もいる。いろいろだね」

日本人と結婚した人もいれば、永住権を持つ人もいる。チリは南米でも経済的に発展しているため、出稼ぎ労働者のような人はほとんどいない。人数がわずかで属性もばらばらなことから、日本には「リトル・サンティアゴ」のような街はないが、あえていえば「エドの家」こそがコミュニティだ。

江戸の家
何枚もあるというユニフォームの背中には江戸=エド(筆者撮影)

「独立記念日(9月18日)やお正月は、みんなここに集まる」

そして、いまでは中野の人々にとっても、居心地のいい場所だ。エドさん自身も中野にすっかり親しんでいる。

「中野、私好きよ。なんていうの、田舎じゃないし、都会すぎないし。だんだんモダンになってるしね」

日本で暮らして42年。エドさんから見てこの社会は、そして日本人はどこがよいのだろうか。

お孫さんが送ってくれたというエドさんの絵(筆者撮影)

「真面目さ。それから、リラックスしているときは本当にみんな明るいところ」

では、もう少しこうしたほうがいいんじゃないか、と思うところは?

「ストレスはありすぎるね。みんな仕事でフラストレーションがたまってる。生活の中にファミリーがあまりない。でも、サンティアゴもだんだんそうなってきてるけどね」

日本には75歳くらいまで暮らしたいと思っているそうだ。

「でも、税金とか本当にタイヘン。この店を潰しちゃったら早く帰るかも(笑)」

そうならないためにも、ぜひ「江戸の家」に遊びにいってみてほしい。

室橋 裕和 ライター

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むろはし ひろかず / Hirokazu Murohashi

1974年生まれ。週刊誌記者を経てタイに移住。現地発の日本語情報誌に在籍し、10年に渡りタイ及び周辺国を取材する。帰国後はアジア専門のライター、編集者として活動。「アジアに生きる日本人」「日本に生きるアジア人」をテーマとしている。主な著書は『ルポ新大久保』(辰巳出版)、『日本の異国』(晶文社)、『おとなの青春旅行』(講談社現代新書)、『バンコクドリーム Gダイアリー編集部青春記』(イーストプレス)、『海外暮らし最強ナビ・アジア編』(辰巳出版)など。

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