3.11被災地での約束から始まった第二の人生ーー日本で突然「クビ宣告」を受けたチリ人が、東京の片隅で《モヒカン姿のシェフ》になるまで

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被災地では7回も炊き出しを行い、チリ料理が受け入れられたことでレストランの開業を決めた(エドさん提供)

東日本大震災の炊き出しを1年間で7回

「はじめは、スペイン人の友達と2人で行った。ギターも持って(笑)。そしたら、その話を聞いた人が、『私も』『私も』って。2回目は30人、ペルー人、ボリビア人、アメリカ人……半分は日本に住んでいる外国人で、半分は日本人。みんなエドの友達」

1年間で7回、南三陸を中心に被災各地をめぐり、炊き出しをして回ったという。

震災直後の南三陸で炊き出しを重ね、地元の人々と交流した(エドさん提供)

「それで私、レストランやろうと思った。チリの料理みんな喜んでくれたし、日本にはチリのレストランほとんどない。ちょうど翻訳の仕事も少なくなってたし」

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