3.11被災地での約束から始まった第二の人生ーー日本で突然「クビ宣告」を受けたチリ人が、東京の片隅で《モヒカン姿のシェフ》になるまで

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日本でたったの2軒(もう1軒は神戸にある)、東日本ただ1つのチリ料理店を切り盛りする(筆者撮影)
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日本で暮らす在留外国人は395万人となり(2025年6月現在)、過去最高を記録した。
しかし、増え続ける「外国人の隣人」に、誤解や不安を抱いている人もまだいるのが実情だ。そこで本連載では、さまざまな事情で母国を離れ日本で生活する人に話を聞き、それぞれの暮らしの実際に迫る。
第6回は、新中野でチリ料理店を切り盛りするチリ出身のエドさんにお話を聞いた。

東日本唯一のチリ料理店、開店のきっかけは「3.11」

きっかけは、あの「3.11」だった。

「地震の取材に来たチリのメディアの通訳として、南三陸に行ったんです」

69歳にしてはファンキーなモヒカン頭と人懐っこい笑顔で、エドゥアルド・フェラーダさん――誰もが「エドさん」と呼ぶチリ人――は、そう当時を思い返す。世界中に衝撃を与えた東日本大震災を取材するため、チリからもテレビスタッフが来日したが、日本で翻訳会社を営んでいて日本語が堪能だったエドさんにアテンドの依頼が舞い込んだのだ。

「津波の3日後だったかな……」。壊滅した南三陸の姿に「涙が出た」と話すエドさん。電気もガスも絶え、食べ物も乏しい被災地を、たまたまリビア紛争帰りの記者が持っていた軍用レーションを分け合いながら取材した。そして南三陸で知り合った被災者の人々に、エドさんはこう言ったそうだ。

「私、約束する。きっとまた来る」

東京に帰ってから、エドさんはチャリティのゴルフコンペを開いた。集まったお金で食材を買って、南三陸でバーベキューやチリ料理を提供し、被災した人々を少しでも元気づけようと思ったのだ。

本連載では、さまざまな事情で母国を離れ日本で生活する方を対象に、取材にご協力いただける方を募集しています。ご協力いただける方はこちらのフォームからご応募ください。
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