広陵いじめ問題が暴いた「高校野球の闇」—美談の裏に隠されてきた“沈黙の構造”
さらに、この構造の上に指導者の影響力が強く関係している。監督やコーチが選手間の人間関係に無関心、あるいは厳しい上下関係を奨励する場合、その文化は瞬く間に部全体に浸透し、いじめの土壌となる。
「高校球児は爽やかで健全」という幻想
高校野球は長年、メディアによって「青春の象徴」として描かれてきた。整列して礼をし、全力疾走でベンチに戻る姿。汗と涙の物語は、見る者に感動と爽快感を与える。しかし、この「爽やかさ」「人格的な優秀さ」というイメージはしばしば幻想である。
もちろん、多くの高校球児は努力家で誠実だ。われわれは、彼らのフェアプレイやひたむきな姿に感動する。
しかし、彼らもまだ成長過程にある10代の若者であり、未熟さや衝動性、攻撃性を併せ持つ存在である。社会が理想像だけを強調すると、内部の現実──上下関係の硬直、同調圧力、閉鎖的環境──が見えにくくなる。それは、問題発覚の遅れや隠蔽につながる危険性を孕んでいる。
加えて、理想像と現実のギャップは、被害者自身が「自分の被害を訴え出たら自分が悪者になるし、部や伝統に傷をつけてしまう」と感じる一因にもなる。これは心理学でいう二次的被害に近い現象である。
こうした環境で特に重要なのが心理的安全性の概念である。これは、米ハーバード大学のエドモンドソンが提唱したもので、「集団の中で、自分の考えや感情、疑問や懸念を率直に表明しても、対人関係上の不利益や報復を受けないと感じられる状態」を指す。
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